今月からMBAへの留学が始まるわけやけども、準備から考えて無謀な挑戦やった。留学先は毎年世界トップ10MBAにもランクされる素晴らしい学校で、カリフォルニアというワインと天候に恵まれた土地はいうまでもなく、底抜けに自由な校風、シリコンバレーへのアクセス等々この上ない環境・・ということも、正直受験後半で知った。正直受験動機は、一度訪れた際に、キャンパスの空気が京都大学(母校)ととても似ていて、ああ、ここならもう一度学生になれる気がする、という「感」だった。
そもそも準備が遅かった。受験生の多くが数年をかけて入念に準備する中、仕事を言い訳にだらだらと準備を遅らせ、実質GMAT初受験もエッセイ開始も8月という・・エッセイカウンセラーに関してはもう有名な方はだれも残っておらず、半泣で走り回る日々・・・。
しかし、10月の出願に間に合った。そして、結果として結果オーライだった。なぜか。
決して(そう決して)私のできが良かったとかそういうことではない。また、この合格が全て運だったとは(多少あったとしても)思わない。理由として、
1)MBA受験は短期集中に向いた受験であること
MBAの大きなウェートをしめるGMAT。こちら、結構「ありえへん」英語試験である。日常的には普通に使っている英語も「あいまいだからだめ」とかいう、私的には結構ありえへん理由で却下される。しかし一方で、丸暗記がある適度効果を発揮する試験でもあり、このルールを覚えるという理不尽を乗り切ることで高得点が可能だった。理不尽であるがゆえに、短期集中で理不尽を受け入れるくらいのつもりでやらないと、納得しない英語は頭に長く残らない
2)そして何より、先輩方を初め多くの方々の助けを得れたこと
人の助けがあったから。本当に、本当に助けてもらったから。テストに関しての「ノウハウ」はいやというほど教えてくれた。また、私のエッセイは4-5人の人に毎回たたいてもらっていた。卒業生の先輩からは、ひたすらに「なぜそう思うの?」を何度も非情につっこんでいただいて、その度に「ぐうっっ。。」となった。そしてその度に理解が深くなっていった。エッセイを抜きにしても、重要な体験だったと思う。そして、その度英語を直してくれて、どのように伝えるのが効果的か、真剣に考えてくれるネイティブスピーカがいてくれた。
もちろん、履歴書が助けてくれたところも大いにあったと思う。それに関しては普段感じない恩義を会社に感じてもいる・・。が、それだけで乗り切れたとは到底思わない。助けを求めることの重要さとそのありがたさをこんなに感じた2ヶ月はなかったように思う。そうやって、このオールとボートで太平洋を渡る無茶受験を乗り越えた。
いつか誰かがまたオールで太平洋を渡ろうとして、私に助けを求めてきたら、笑って助けてあげなあかんな。
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