興味のあることが増えたと思うのは、多分いろんなことに興味がある人々に触れたせい。
こっちの人は、学生や社会人問わず、「趣味」が多い人が多い。ベイエリアということもあるかもしれないんやけど、なんだかんだみんな色んなことに興味があって、日本でよくある「ほぼ無趣味」が多分理解できない。それこそ、ミュージカルだったり、クラシック、楽器、スポーツ、等々。。。娯楽ってこんなにあったのか、というくらい、みんな凄まじい種類の趣味を持っていて、いつも感心してしまう。だから、「趣味は?」と聞かれると、ぐっと詰まることも多い。私の趣味ってなんだろう。趣味以外にも、娯楽を超えた枠で「興味」が広い人が多い。子供の教育だったり、ホームレス問題、外交、等々。。。みんな、すごいなーと思う一方で、私の興味ってなんだろうとまた考える。
多分趣味も興味もわりと無関心で生きてきたんだろうなあと思いつく。学生時代は基本的にやれと言われることが多いから、それ以外に使う時間は(幸か不幸か)あんまりない。したがって、特に強い理由がない限り、急に興味が発現することはない。
聞かれるととってつけたように「xxxに興味があって・・」みたいな話はするんだけど、じゃあそれにすごく精神的に投資しているかというとそうじゃないから、多分違うんだろう。社会人になってからも、猛烈に忙しくて、興味と言えるほどのものもなく、というか、興味ってそもそも何なのか、が分からなかったし、かつそういったものにダラダラと時間を費やすことがちょっと無駄に思えた。その先にはっきりとしたゴールがない限りは(そして多くの場合はっきりとしたゴールなど興味程度のものにはない)
でも最近、そこまで難しく考える必要ないのかもしれないと思い始める。例えば、ワインはこっちに来てから好きになった。もっと、違いとか美味しさとかがわかったら楽しいなあと思う。脱北者の人の手記を読んでから、北朝鮮の事情をもっと知りたくなった。本を何冊か買ってみようかなあと思う。やっぱり、日本の教育ってダメだよなあ。日本の教育の枠の外で、グローバルリーダーシップを教えている人がいるから、話を聞いてみようと思う。多分それぞれが将来どうなるとか自分のキャリアにとってどうとか、今あんまりないんだけど、面白いなあと思うことに、もうちょっと素直になっていいんやで、と周りに言われている気がする。
多分、「面白いかも」という声は自分の中にずっとあったんやけど、周りの爆音にかき消されてきたんじゃないだろうか、と思った。そして、仕事に戻って忙しくなると、また爆音が聞こえてくるはずだから、そういった興味に敏感になることに、もう少し意識を注いてみようかと思う。それが仕事とかキャリアとかに今繋がるわけではないんだけど、将来長い目で見たときにどうなるかわからないし、たとえ繋がらなかったとしても、人間としての厚みができたら、それでいいんじゃないだろうか。必要なもの以外削ぎ落とそう、という考え方は、昔から哲学的に信じていたことやけど、もういい大人になって、いつまでも禅寺みたいな生活しなくてもいいかもなと思ってみたり
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