2016年2月29日月曜日

盗難事件

友人が盗難にあった

しかも私の眼の前で。もう、ショッキング。友人3人とお昼ご飯をサンフランシスコで食べていた。場所はシビックセンターという、SFの中では特に治安が良いとは言えない地域ではあったが、店自体は小洒落ていてご飯も美味しいカフェっぽい店だった。一人の友人が遅れていたので、2人で先に席に座って話をしていた。すると、隣の席に黒人のおじさんが座った。

とってもにこやかで、満席だったので3人目が来たら相席してもいいかというと、笑って「もちろんだよ!」と言ってくれた。我々が日本人だと気がつくと、日本語をちょっと知っていると自慢したり、すごくフレンドリーに話をしてくれた。(そして、私は求められて握手までした)3人目も無事到着し、食事を始めると、ふっといなくなったので「あれ?」と思ったりはした

さて、席を立とうかとするときに、向かいに座っていた友人が急に慌て出す。なんと、財布がない。そんなばかな。だって、私は向かいに座って、ずっと彼女のカバンは目に入っていた。特別注意を払っていたわけではないが、盗られる隙なんてなかったはずなのに。ぜったいどこかに落ちてる。トイレを探したり、店内を探していた。

すると、すぐに彼女の携帯に電話がかかってきた。どうやら、カードで現金を引き出そうとした痕跡があるらしい。盗難確定。愕然とした。彼は彼女のカードを使って、大量に地下鉄のチケットを購入し(日本のスイカを大量チャージ購入する感じ)、カードを使ってレンタカーを借り、彼女がカードを止めるのと追いかけっこで、ひたすら数千ドルの高額購入を繰り返していた。店の人が防犯カメラを調べてくれると、我々が一瞬目を離した隙に、やはり彼がカバンを開いて財布を抜き取っていた。

カードで使われたお金は正直保険で帰ってくるし、現金が結構大量に入っていたことは確かに惜しいが、金銭的なロスは人生を左右するほどではない。なにがショックだったかって、そこに存在する悪意だった。彼は我々の隣に座ったときから、彼女(もしくは私)のお金を盗むことしか考えていなくて、その上で明るく楽しく我々と会話をしたのだ。手口が非常に慣れていることから、日々こういうことを繰り返している人なんだろう。すごい負のエネルギーに触れた気がして、気持ちが悪くなった。こんな社会の黒い部分に、普段触れることは滅多にない。

やはり、そういう国に住んでいるのだ、と認めざるを得なかった。チャンスがあるとか夢があるとかいうけど、この国にきっと一生住むのは無理だと改めて確信した。







2016年2月27日土曜日

現場マネジャーの苦悩

「クライアントを動かしたかったら、プロセスの早いうちからクライアントを巻き込まないとダメ」

ということは、教科書的に知っていて、それがいかに正しいかもいくつものプロジェクトで経験しているので、「そうしないと上手くいかない」ことは知っていた。ただ最近気がついたのは、「なぜそうなのか」ということ。

最近「これをしようと思ってる。やってくれる?」と言われたことがあった。でもこれ、明らかにだめでしょ、って思うことだったりする。これ、絶対お客さん怒るし、しかもそれ、私が自分の恥をかいてやれって言ってる?冗談でしょ!まあ結果、当然アクションに移すこともない。

じゃあそうフィードバックをして、一緒にもっといいもの、実行できるもの作ればいいじゃん、ってそうなんだけど、そういう機会はない。というか、そういう試みをしたことが何回もあったが、結局「いいからやれ」と言われる経験をしている。したがって、こういったフィードバックも上手くいかないのを知っている。上手くいかないと知っていることを、わざわざ労力割いてやることもない。

ここまで来た時、なんか圧倒的なデジャブ感。クライアントに何か実行してもらうときに、頑なに拒んだ現場マネジャーの顔が浮かんだ。「どうせ社長がするっていったらしなきゃいけないんでしょ」という、諦めに似た空気。。そうか、こういう感じか。と、初めて自分で体験した気がした。自分が実行することになっているものが、自分が正しいと信じるものになっていない、しかも、それを正す機会もない(もしくはその労力が異常に大きすぎる)。そんな状態で、いくらこちらが正しいと思うことをどんなデータで見せても、上手くいくはずなかった。結局リスクを取っているのは彼なのだから。だからこその沈黙。彼の気持ちが、今もう少し現実味を帯びて分かった


そして私はこちら側に立ったとき、その打開策があるわけではない。ただ当時マネジャーほど社長を恐れていないので、おそらく実行しないんだろうな。

2016年2月25日木曜日

実験的リーダーシップ:リーダーが取るべきでないリスクとコスト

ものすごい大衝突がありました

というか、途中からは我に返って実験的に観察した。小さいことに執拗にこだわる感情的な人に対して、正しいと思うことを論理立てて説明しようとした時に、どういう反応が返ってくるのか。

結果、「この議論は無駄だ!」と叫び、話を決して最後まで聞かず、議論を組み立てるということは一切起こらず、「なぜ分かってくれないのだ!!!」と同じ論点を怒鳴り続けるという結果になった。私の英語のせいも多少あるにしろ、それでもなかなか前職では議論の途中で叫び出す人はいなかったなあなどと懐古的に思いふけりながら、なかなか面白い経験だったと思う。この人がプロフェッショナルという観点からみてどうとか、リーダとしてどうとか、正直ちょっといらっとしたということはさておき。。こういう場面に直面した際に、どういう対応をこちらがすべきというのは、考えるに値するなと思ったので、ラーニングを書き出しておくことにする。

1)相手にこちらのInterestを誤解させない
まず出方がまずかった。相手が信じる私の興味(=なぜこういう議論を持ち出しているのか)は、私本人からみて事的外れであったのだけど、その誤解を100%解く前に議論に入ったのはまずかった。感情的である人程、懐疑心が圧倒的な負のエネルギーになることはまちがいなく、そのインパクトを過小評価したのは私に非があっただろう

2)相手にTemperを合わせない
まず感情的な相手程ボリュームが物理的にでかくなるので、それに合わせてしまいがち(途中からしまった あーと思っていた。調節した際にはもう手遅れという不手際。。)しかも感情的な人程、自分のボリュームに相乗効果でさらに興奮しがちだと改めて確認した。加えて、こちらもそのモードに引きずられることで、「自分を抑え込む」ことに80%くらいのエネルギーを使ってしまい、本来エネルギーを使うべき「問題解決」にエネルギーが十分いかないという、結構痛いミス。こういったケアレスミスは早く対処できるようにならないと、感情的な社長と話しでもする非には血で血を洗う戦いになりかねない

3)場所時間を選ぶ
これもまずかった。まず相手が最初相当いやーなムードだったことも良くなかったなと思う。こればかりはことの重大性緊急性とのトレードオフだが、避けれるリスクの一つでもある。クライアントハンドリングでは気をつけていた要素ではあるのだけど、やたら面の皮がフレンドリーなアメリカ人はそのジャッジが相当難しい。これは、経験でもうちょっと上手くなりたい

4)子どもにならない
これはどちらかというとここからのアクションかなと思う。昔の私なら「あ、じゃあいいっす。」といってすーっとフェイドアウトしたところだが、実際のビジネスでは衝突があったり気に入らないことがあるたびに辞職しては職がいくつあっても足りないだろう。相手に合わせて子どもになる必要はないし、どちらかというと実験的にあそこまで爆発した人が次の日どういうアクションを取るのかはちょっと興味がある。相手が引き続き感情的になって「解雇だ!」となっても、学生で特に失うものもないのでそれはそれで良いと思う。冷静になれば、失うものは相手の方が多いのがわかっているのもある。何もアクションを起こしてこなかったとすると、リーダーとしてはその程度(何様笑)ということなので、これはこれでいい

これらが上手くいっていたら、議論の方向は違っていたかなと、もう一度改めて考えてみる。完全には違わなかったかもしれないけど、感覚的には50%くらいの確率でもうちょっと建設的な議論にもっていけたのではないかというガッツフィーリング

一方で、自分がリーダーになるときはこういうリーダーになってはいけない、ということの再確認もできた。少なくとも、10こ自主的にやろうと思っていた事のうち、8こは「もうやんなーい」と瞬間的風速的に思った。自分がリーダーという立場になったとき、部下にはそういう判断をして欲しくないし、リーダーが感情的になったとき失うものの大きさを、自分がリーダとしてのリスクを取らずして知る事ができた。そういえば、一人とってもうまの合わなかったマネジャーは非常に感情的な人だったなと思い出す


こういった実験的環境で貴重な経験ができたことに一旦感謝しよう。ただ、これを抜きにしてもこれは来年しないな。来年もしてたらおかしくてお腹よじれちゃう

2016年2月17日水曜日

3日に1人死亡

オークランドに行ってきました。

といっても、別に旅行というほどではなくて、車で15分くらいのところ。私は車がないので、バスで30分くらい。

危ない危ないと言われている。とは言っても、人生で人並みよりはいろんな国の危ないところに住んできているので、「またまたーそんなこといってー」と。池の風景とか見ても、いや、のどか。なんなら子犬が飼い主とジョギングしています。またそうやって何も知らない日本人をびびらせようとしているんやな、と思ってた。

しかし、ふと脇道にそれると、それはそれは「危ない」匂いがする。なんというか、まず人がいない。店という店にはシャッターが下りていて、その上に毒々しい色でFUCKとか描いてある。何よりもこの素晴らしい清々しい天気のしたにあるこの異常な殺伐感。うん、これはあぶないな。と思って横に避ける

近くのカフェでなんとなくぐぐってみると、なんと治安は米国ワースト4位の街。アメリカでワースト4位って、ひょっとしてすごいんじゃないか。。。なんと、最近でも年間100件の殺人事件が起きているとか。100件って、単純計算だと3日に一人弱殺されてますよね。それってすごくない?そういえば先々週ぐらいに殺人事件あったって言ってたな。。うちはこんなところでのんきに茶などすすっていていいのだろうか。と思ってそそくさと席を離れた



中国でもインドネシアでも、最悪殺されることはなかったな、と思う。なんかそんなめちゃくちゃな場所が結構当たり前に存在して、人が住んでるってすごい世界観やな。と思う。アメリカでの学位には興味があっても、アメリカに住みたくないと思う理由の一つはここやなと思う

2016年2月11日木曜日

ファーストキャリアはトップファームが良い

ファーストキャリアはトップファームが良いと、あえて言ってみる

トップファームってなんやねんとなりそうやけど。そもそも自身は圧倒的に影響力のあった個人の影響で、盲目的に「ファーストキャリアはみんなが知っている会社じゃないとだめだ。。じゃないとその 後行きどまりになっちゃう。。。」という謎の焦りと危機感もあり、そういったキャリア選択をした。確かに履歴書の見栄えは良いし、次のステップに進む時も楽。誰かに「何をしていたのか」を説明しなくても会社の名前を言えばわかってもらえるし、相応の期待とプレッシャーがもれなく自動的についてくる。大体の場合は。


でもこの考え方、本質的にはちゃうやろな、と最近思う。いろんな企業や団体の人とやりとりをする機会が学校内外で増え、この考え方に自然と帰ってきて「やっぱりそうやで」と思うことが多い


やっぱりトップファームっていうのは余裕があって、人材に対する投資をする。それは、留学みたいな金銭的な投資はもちろんだけど、もうちょっと人ベースの投資。何かと言うと、人の時間を使ったコーチングに結局帰る。本当に細かいこと、例えばメールの書き方とかお辞儀の仕方とか(日本的だが)からに始まり、こういう状況で人に対してどういう反応をすべきか、周りのモチベーションを保つには?同意ってどうやって取っていくべきなの??。。うんぬん。少なくとも私の会社はくどいほどのトレーニングとかフィードバックがあって、当時は「はいはい。。。」とか思う時もなくはなかったが、(そして全部習得できたかはまた別問題として)、自分の考え方のベースになってるし、助かる!なんか7割引で聞いててごめんなさい!と思うことが多い。

なんでかというと、こういうスキルって社会人3年目以降だと、もう一度勉強するのめっちゃ恥ずかしい。しかも、なかなか自分でできることじゃなくて、誰かに怒られながら鍛えられながら学ぶ必要がある。そういう意味で、会社に余裕があって、そういうことにリソースを割くことに抵抗がない会社は、やっぱりファーストキャリアには理想かなと思う。

かといって、ファーストキャリアにベンチャーを選ぶ人の選択を「け」と思っているわけではない。大きい会社で学べないことを学べるし、人間的に成長できるのも間違いない。ただ、上記のことをしっかりやってくれる気概があるかどうかは、入社前に確認しても害はないだろう。


と、あまりにも社会人的におかしいメールを投げつけてくる会社、あまりにも人のコントロールがいけてない人等々と接する機会が瞬間風速的に増え、「なぜだ。。。」とフラストレーションを分解しているうちにこうなった。原因はおそらく個人や団体のもっと根本的な問題に帰結するのであってキャリア選択はその中の一つに過ぎないし(そもそもそこじゃない可能性もあるし)、受け取り側に非がないわけでもないと思うので、あくまでも考えのきっかけとして、だ。






2016年2月3日水曜日

朝はまず8個のメッセージツールを順番に点呼する

非常に機械オンチなので、こんなことを書くのは若干気がひけるのだが、まーごちゃごちゃしているよね、と言いたい。

なんの話かというと、プラットフォームである。いわゆる、メッセンジャーとかSNSとか諸々含んだ、今流行りの「ツール」が、アメリカには無数に存在する。例えば、単純なコミュニケーションツールだけ例に出すと、WhatsApp, Facebook messenger, Instagram, Slack, School Email, Google hangout, Skype, あとは電話への番号メッセージなど、冗談じゃなくこれら8個全て使っている。ついでに言うなら個人用のGmailだって使っている。なぜかというと、人と団体によってメインに使用しているプラットフォームが異なっていて、うっかりすると見落としてしまうからだ。「そっちか!!返事遅くなってごめん!!」という状況が冗談じゃなく発生している。


これは一体なんなのか。理由として考えられるのは、シリコンバレーという土地柄、新しい物を試すのが好き。。。という非常に迷惑な性格。(正直Slack使えとか言われた時、は?と聞き返してしまった。ほんと困る)もうひとつ理由として考えられるのは、日本にはアメリカで一度淘汰されたあとのサービスが入ってくるのに対して、アメリカはまさに淘汰の真っ最中という仮説。ありとあらゆるサービスが凌ぎを削って、統廃合を繰り返しているのかもしれない。あながち嘘じゃないんちゃう。とくにコミュニケーションツールという性質上、より多くの人をのっけたものが生き残るのである。


にしても、非常に迷惑な話である。個人的にはちゃっちゃと一つの会社に全部まとめてもらって、これさえみとけばKYにならない、という形にしていただきたい。

2016年2月2日火曜日

インターンシップ探し

インターンシップ探しが激化している。今クラスメートはみんな、夏のインターンシップを探すのに躍起になっている。口を開けば where are you recruiting?だからもうお祭り騒ぎだ。

お前はどうせ元の会社に帰るんだからインターンとか探さなくっていいんでしょ。と冷めた目で聞かれることがあるが、そんなことなくて、ちゃんと探している。いろんな人と話しているたびに、ローカル(アメリカ人)と戦うことがいかに難しいか、どういった戦略が必要かが良くわかってきた。戦略といっても大したことじゃなくて、ブランディングに似ている。当然やけど、ビザとか英語とか全く心配しなくていいアメリカ人じゃなくて、なんで私がいいのか、をきちんと理解してもらわないと、先には進めない。いや、口に出してみてしみじみ、本当に当然ですよね。

アメリカでできればインターンシップがしたいな、と思ってる。せっかくこっちにいるんだから、という生来の怠け癖もあるけど、今しかできないことを考えたら断然こっちやな。しかも、普段怠けてるからこそ、ちょっとチャレンジングな状況に自分を置いてみないと、溶けるように夏が過ぎてしまいそう。。


自分はあまり業界とか機能とか重要じゃなくて、誰と働くか、が大事なんだな、と最近よくわかってきた。(強いて言うなら東アジアという文言が一言でも入っていたらとっても張り切るが、アメリカの就活ではそうそうお目にかからないので一旦無視)気があうとかよりもうちょっと上のレベルの、尊敬できる人と働ける時の、お腹の中から湧き出るワクワク感が必要や。そうじゃない人と働く時の結果は、身を以て何回か経験しているからもういらんと言いたい。本当に人生の一部分を棒に振ったと思う。

とか言ってて結局日本にいるとか、そもそもインターン自体をしていない可能性だってある。ここまでわがまま言ってしまったらもうここは巡り合わせなので、仕方がない。そうなったらそれはそれで良くて、久しぶりに家族と長い時間を過ごそう。それ自体も、なかなか経験できないことに違いないんだから