2016年7月26日火曜日

くそーと思う程の刺激が丁度いい

すごい、刺激があった。

いい意味でも悪い意味でも、音でいうなら「どかーーん」という感じだった。今日は満を持しての「めっちゃえらい人」への報告の日だった。

手応えはなかった。なかったというと正確ではなくて、彼の欲しかったものと、どれだけ近いものを作れたのかはわからなかった。彼が「これを次のステコミの議題の一つにしよう。君も来てね」と言ったので、100%的外れなものができたわけではないと思う。でも、プレゼン中の嵐のようなチャレンジとか、何を期待しているのか測りかねる発言とか、最後まで「むー」と唸ってしまった。

一つは、彼が何を欲しがっているのか、を確認するチャンスが、今まで一切なかった。100%に近い形でえらい人には持って行く、という文化なので、「すり合わせ」という考え方はこの組織にはあんまりないし、提案しても許してもらえなかった。なので、「あの人はこれが欲しいんじゃないか」という仮説の元に、作り込んでいく。結果、正直一週間目に議論すべき内容で、議論が止まる。それに対する歯がゆさ。

かといって、それを完全に文化のせいにするのは、やっぱり間違っているだろう。求められていないからって、自分が考えることを止めてはいけない。これって、結局誰がどういうアクションを取るためのものなの?って、うざがられても繰り返し聞くべきだった。「そんなのxxxに決まってる」って直属の上司には何回も突き返されたけど、そこにチャレンジしていく勇気を、それをもっとうまくする技術を、もっともっと磨かないといけなかったし、磨いていくんだ。それがうまくいったとしてどれほど結果にインパクトを残したかははっきりいって謎だけど、それが十分でなかったと感じるからには、やっぱりできることがあったんだろうな。


でもやっぱり、「くそー」と思うこの感覚はいい。そしてこの刺激は、やっぱり高い目線の人からしかこない。この仕事が一体どういったインパクトを生むのか、そういった目線でのチャレンジは、ワクワクするし打ち返したい!って思う。毎日じゃなくてもいいけど、もっともっと、こういう刺激がほしい。そして、今の直属の上司じゃやっぱりだめなんだ。(彼は今でもフォーマッティングさえ直せば良いと思っている。いい加減フォーマッティングの話するのやめとけ。そこちゃうって)

きっと世の中の多くの人が、こう言った不満とかフラストレーションを感じて毎日を過ごしている。でもそんな中で「うまく立ち回る」術を身につけたり、かたやストレスに潰されたりしてるんだろう。上の人としたい。もっと意味のあるチャレンジしてほしい。そのチャレンジに、うりゃーと立ち向かっていくような仕事の仕方はめっちゃいい。それって、やっぱり頼みすぎなんやろうか





2016年7月19日火曜日

ビジネスコンテストからの

絶対3日以上かからない仕事に「じゃあ、2週間でお願い」と言われて、「いや、それどう考えても3日でできます」と返すことが続いて早1ヶ月強。別に私がめちゃくちゃできるとかでは決してなくて、他のインターンも似たような経験をしているみたいだ。これを、アメリカ的ゆとりとかゆったりとか呼ぶのか。。。6時に帰る生活にもはや違和感を感じなくなったが、もやもやする。典型的な大企業病だろうか。。

ただ先日、結構面白いことがあった。(ほんとに)うっかり優勝したビジネスコンテストの過程でアドバイスしてくれた社内結構偉い人に、「優勝したみたいだし、キャッチアップしよう」と呼ばれてほいほい会いに行く。だいたいどんなビジネスプランになったかひょいひょいと説明して「お世話になりました!」と帰るつもりだったが、「この後どうするの?」と聞かれた。「は?」とおもわず返してしまったが、「面白いプランで考えることに意味はあったと思うんですが、正直、実現可能性でひっかかるんですよね」と正直に続けた。そこに、「そんなことないよ!」と彼が情熱的に語り始めてからはただ圧倒された。今の社内での取り組みとどう関連するかとか、どこのチームの人が興味を持ちそうかとか、実現可能になるためのプロセスとか、えらい面白い話をしてくれた。「これ今まで考えた人いないから、絶対面白いよ!」と目をキラキラさせて語る、中年のインド人。。彼は「これをどうビジネスに実際に組み込むのか」というマインドセットで私とのミーティングに臨んだんだ

なると俄然興味が湧いてきて、「えーやってみたいかも」とか考えてしまった。インターンという自分の身分がちょっともどかしい。何より、大企業病の気があるここで、こんなにもフットワーク軽く、情熱的に何かを考えてる人は、やっぱり探せばちゃんといるんだな。私はエンジニアじゃないから実際のシステムは作れないんだけど、こういう「速いスピードで何か新しいものつくりたい!」人と仕事をするのは、西海岸ならではで楽しいのかもしれない

2016年7月15日金曜日

砂漠の上のアイス

こんなものか

という偉そうなことを思っている。いろんな人にしばき回されそうであるが、インターンが残り一ヶ月を迎え、圧倒的に感じ始めた物足りなさ。。をここに吐露しておくことにした

何が原因かはわかっている。上司の目線が低いんだ。以前話した、「結局何のためにこれをしているのか」という目線を持っている人が、この会社には圧倒的に少ない。私の直属の上司も全く例にもれず、そういった感じだ。毎回、「いや、そのやり方だとそもそも意味ないんじゃないでしょうか。。。」という話をこちらから持ち出す必要がある。それはそれで良い経験なのかもしれないけど、その後襲う、とてつもない焦燥感。「こんなことに時間使ってて良いのか」という焦りだ。

例えば、私は今会社の人員予測モデルを作っている。来年どれくらい人が入ってきそうなのか、どれくらいいなくなりそうなのか。。。もちろん予測と実際には差があるのだが、予測があって初めて、なぜ差ができたのか、という話ができる。なぜ米国で予測と大きくぶれたのか、なぜアフリカの特定の国で予測より大幅に離職が続いているのか、、、そこに紐づくアクションや、起こるべき議論のベースになる予定である。一方で私の上司は、モデルの精度を上げることに非常に敏感で(それ自体は間違ってない)、一年予測が実際を大きく下回った年に、「この年だけ一律で予測を引き下げてはどうか」という提案をしてきた。ここまで前振りを話せば、「いやいや。。。ちょっと待てや」と誰しもがなるはずである。予測が大きく下回ったこと自体が重大な事実であり議論すべきなのであって、予測を修正して実際に近づけては意味がない。結局、何がしたかったのかを忘れている。そして、こう言った議論があちらこちらで頻繁に起こる。


ただ、一つ二つ上のポジションの人々は、高い経営者の視点をもちろん持っている。話していてとっても面白い。「あ」と気づかされる瞬間があったり、納得する瞬間があるたびに、この感覚がとっても好きだと思い出す。「今日は良い日やったな」と思う日は、やっぱりはっきりとした学びがあった日であることが多いからだ。学び、というのは目線を引き上げてもらうたびに起こると個人的に思っていて、だからこそ「誰と働くのか」が私にとっては本当に大切だ。ただ、そんな彼らと直接仕事ができるようになるには、この会社ではとてつもなく遠い。少なくとも5−8年待たなければいけないだろう。そんなに、正直待てない。砂漠の上のアイスである

加えて、人を育てる、という考え方があまりこの会社にはない。各々が得意なことを、各々がやっている感じだ。それでもなんとなく回っているのは、市場での存在感が大きいから。人さえ突っ込んでおけば、とりあえずお金が儲かるんだ。だから、とりあえずいっぱい採用する。採用して、とりあえず働かせる。「忙しいから、メールで」って、それ自体は間違ってないけど、メールでできる内容と、実際会うべき内容との境目が、かなりいけてない場合が多い。コーチングとか、次のプロジェクトの話とか、メールでしちゃダメだよ

そんなことに気がついた瞬間に、突如「どうしよう」という不安と苛立ちに襲われた。仮説的に今後の将来を決めようと思って足を突っ込んだ「アメリカの会社」。今少なくとも、ここにいたら腐るやろうなと思っている。福利厚生とか、ワークライフバランスとか、とっても良い、典型的な大企業。でも、自分は多分成長しないだろうな、って分かった。それでもいい、家庭と仕事を両立できるこになるねん、とするのか、どうなのか。外の世界ってみんなこんな感じなんだろうか。