2017年8月13日日曜日

MBAそして将来の夢

MBAが終わって、帰国がして、気がついたら1ヶ月以上が経っていた。カナダ留学の経験から知ってはいたものの、やはり根は日本人なので、帰ってからの適応力は驚くほど早い。違和感なんて、3日ほどで消えてしまった。もうアメリカは懐かしく思い返すくらいになった。仕事もさらっと始まって、基礎戦闘力が落ちているということは多少あるものの、「ああこういう感じだったな」と驚くほど簡単に順応している自分に若干笑えた。

留学で何を学んだのか、という質問は、やっぱりくどいくらい聞かれて(悪気なんてもちろんなく、単純に興味があるんだと思う)、その度に少し微妙な苦笑いになってしまうは、「これ」という綺麗に切り出されたものがないんだと思う。ただそれが確かにあって、生活の節々に思い出したように顔をだす、という感じで、それは聞かれてすっと答えられるものではないんだろうなあと思う。

例えば、昔では年配の人に若干気後れしたり、ぴりぴりする人に怯えることがあったが、今は少し冷静な目線で、人として彼彼女たちに接することができる。仕事の外に世界をもっともっと求めている自分に気がつく。知識に乾いている自分に気がつく。時に批判的に、特に長い目で、物事をみる癖が付いている自分に気がつく。それは2年現実世界から離れたからそうなったのか、年齢がそうさせるのか、アメリカという国がそうさせたのか、はっきりとはわからないけど、きっとこういった理由が少しずつ混ざり合って、染み込んで来たんだろうと思åいたい。

少しのことでへこたれることのない、おおらかで、余裕があって、嫌われることを恐れない芯の強い女性になりたい。反省はしても、悩まない、くよくよしない。背伸びをしているうちに、それが自分になるように。できたことは、しっかりと自分を褒めて、毎日を丁寧に生きていきたい。

人生はそれだけで贈り物である、とは留学中にふとしたきっかけで気がついたこと。今日が最後でも後悔しない、小さい幸せに感謝できる女性になろう。




2017年5月31日水曜日

高校生の進路

多分高校の2年生くらいの時に、すごくすごく辛い時期があった。学校は大学受験に向けて理系文系に別れ始めて、志望大学を狭めて行く時期だった。勉強は得意な方だったし、先生は「頑張ればどこでもいけるよ」と言ってくれたように記憶しているので(嘘やったらごめん先生)、すごく勉強に困ったというわけではなかった。でも何になりたいのか、一切分からなかった。そして、その困惑の理不尽な矛先として両親にすごく当たったのを覚えている。

何を基準にして選べばいいかも分からなかった。当時「資格が大事だ」と言われていたので、資格一覧みたいな分厚い本を買ってきて、その数千ある資格それぞれに自分の将来をイメージして見たけど、だめだった。(唯一、通関士という資格が面白そうと一瞬思ったが、本当に一瞬だった)今まで勉強しかできなくて、勉強しかしなくて良かったから、急に「自由に選んで」と言われたら頭がおかしくなりそうだった。進路がはっきりしている人が不思議で仕方なかった。

結局消去法で経済学部を選んだけど、今思い返せばとても健全で、かつかわいそうな悩みだったな、と思う。日本の教育の悪いところで、テストで良い点を取る方法を教えてくれても、将来何になりたいのか、という議論に付き合ってくれる大人はいない。勉強以外しないから、視野が広がるなんてこともない。

アメリカで高校生に対する進路相談のボランティアをしてみたけど、みんないろんなところでボランティアをしたり、インターンシップをしたり、あれこれと将来を試行錯誤している感じがすごく良いなあと思った。日本でも、そういう機会があってきっといい。帰国したらいろいろやろうと思っていることあるけど、その中で日本の教育は軸として一つあるんだろうなと思う。


2017年5月29日月曜日

風邪からみるアメリカの病院事情

風邪がなかなか治らないあたり、自分も年だなあと思う。かれこれ1週間くらい家に閉じこもっていて、過去ならば1日ぐっすり寝たら治っていたことを思うと、自分の老化を感じずにはいられない。


ただ、風邪を引いたことで非常に興味深い経験もした。アメリカの病院と薬局にかかったのである。アメリカの病院など使うか!!ヤブ医者め。などと思っていて、意地でも病院に行かない方針を取っていたんやけど、さすがに咳で寝れない日が5日ほど続いて、このままだと治るものも治らないと思ったので、しぶしぶ行くことにした。声が完全に潰れてしまったので、夫に電話で予約を取ってもらい、オークランドにあるクリニックに来院した。

1)事前の記入事項がやったら長い
日本だと、初診の場合、名前と住所、アレルギーや持病の有無、あと今回の来院の予定なんかを書くぐらいだろうか。こちらは、なんと5枚程度の紙にびっっっしりと記入事項があった。喫煙の有無や飲酒の量、運動の量、なんならセックスの頻度まで。。。風邪でなぜここまで書かなければならんのだ。ぺっと薬を出してもらって、家に帰って寝たい。と若干途中からイライラしてきた。かつ、「薬は自分の責任で飲みます」的な書類に何枚もサインをさせられた。さすが医療訴訟の多い国、アメリカ。


2)診療中の非効率
適当に上の紙を書いて受付に返すと、10分ほどで名前を呼ばれて、個室に通された。待っている間に、看護師さんが血圧や体温、体重と身長を測りに来た。その後、お医者さんが来たんだけど、なんとまた血圧測っているではないか。。。一瞬「え」となったが、なされるがままに測られる。異常ないですね、ってそうでしょう。さっきも看護師さんに同じこと言われましたよ。


3)麻薬入り?
夫の気遣いで、お医者さんは日本人の方だった。割と流暢な日本語を話されるので、日本の生活が長い方なのかなと思った。が、最後に、「この咳止め、麻薬入っているので」と言われ「は!?」となったが、劇薬の間違いでした。医療用語の日本語は結構拙い方のようで、きっとアメリカの生活が長いんだろうな

にしても、いつも無愛想なWalgreenのおばちゃんが、咳止めを受け取る時に盛大に咳をしている私をみて「早く良くなるように祈ってあげるからね〜」と言ってくれて、ちょっとほっこりした。



2017年5月24日水曜日

技術の前進による人口爆発

バカは風邪をひかない・・・という仮説の裏を体を持って体現したかったのか、卒業式後三日ほどほぼ昨日不能になる程の風邪に見舞われた。固形物はほぼ喉を通らず、離乳食みたいな食事を続け、かつ家に閉じこもる日々。

卒業に関しては後ほど書くとして、引きこもっている最中に惨めなほど時間だけあったのと、熱にうなされていたために普段とは違うところに思考が流れていくのが面白かったので、記録しておこうと思った

ずばり、人口増加の話である(どーん)

特にこの話に詳しいわけではなくて、考え出したらまあ人間は滅びるよね、とふいに思った。ことの始まりはSt. Gallenのシンポジウムで、技術の前進により、ロボットが人間を置き換える、という話が盛んに話されていた。じゃあ、置き換えられた人間はどこにいくんだろう。。短期的には失職ということなんだけど、もうちょっとマクロかつ長期的に物事を見ると、ちょっとずつ人が足りないところに人が流れていくはずなんだな、と思う。それは介護とか、ヘルスケアとか、時代によってそれも少しずつ変わっていくかもしれないんだけど。

ただ、さらにこれをマクロにかつ長期的に見ると、技術の前進に伴ってそういった分野でさえどんどんロボットが置き換えていくに違いない。じゃあさらに行く場所を失った人間は、何をするんだろう。何かのパロディーで読んだ、「朝起きたら人間はランニングマシンで電気を起こす」ことくらいしかやることがなくなる日が来るんだろうか。


個人的に思うのは、人間は「前進」を非常に重んじる動物なので、おそらく地球上の解けていない課題にこういった余分なリソースが集まっていくのかもしれない。例えば、まだ治せていない病気、アフリカの貧困。。でも例えば人口の1/3の死因である癌が治るようになったら、人口爆発するんじゃないんだろうか。加速度的にこういう課題が解けていくにつれて、人口が増えに増えて、結局火星移住とか言い出す暇がないうちに、人間は飢えて殺し合って死ぬんじゃないかな、と思ったところで思考が止まった。

そう思った時に「前進」って何だろうと考える。人間の歴史は前進の歴史なのか。完璧な状態って一体なんだろう。人間が誰一人として飢えることなく、受け入れられて、安心して過ごせる状態が完璧な状態だろうか。でもそれってとても人間本位な完璧だなあと思う。例えば生物の多様性だったら、数百年前のほうがよっぽど豊かだったはずなんだ。例えばゲイマリッジを前進ととる人もいれば、後退ととる人もいる。何が完璧なのかは、それを定義する人によるとすれば、我々はそもそも何を目指して前進を追求するんだろう

2017年5月8日月曜日

追記:感謝するということ


前述のシンポジウムにて、Disruptionというテーマで多くのことが語られる中で、やっぱりよく話題に上がるのは、イギリスのEU離脱やトランプの大統領選挙だった。「当たり前だと思っていたことを当たり前と思わないこと」、世界は常に平和でも、前進しているわけでもない。

自分の日本のパスポートを使ってスイスのイミグレーションを通り過ぎる時に、多分これも当たり前じゃないんだろうなあと思った。安全で裕福な国に生まれて、お腹を空かせずに健康に育って、教育に理解のある両親の元、自分が面白いと思ったことは気がすむまで探求できる機会を与えてもらってた。ついつい目の前のことばかりに夢中になったりイライラしたるすることがあるけど、きっと大切なことだから、忘れないようにしよう。

St. Gallen Symposiumを終えて

今回のSt Gallen Symposiumは学部生のころからずっと来たいと思っていたし、遂に夢叶ったという感じだった。最終的に1000通以上のエッセイ応募があったらしいので、トップ10%以内に入るエッセイを書いたのは、とりあえず褒めてもバチは当たらないんじゃないやろうか。それくらい、社会に物申したいことが増えたということなんやろうけど。議論の質が毎回素晴らしかったし、そもそも自分では一生会えないようなすごいスピーカーに毎回圧倒された。いわゆる「誰でも知っている」会社のCEOがずらずらと名を連ね、国家の省長や著名な教授などなど、最後の方は若干感覚が麻痺してしまった。一緒に食事をした日本の方となんとなく名刺交換したら、後ほど彼がノーベル賞受賞者だったと気づく始末だ。


多くの議論の中で、一つ印象に残っているのは若い世代(我々)と、こう言った世界のリーダーとの議論を、非常に重視してくれていたということだ。特に我々世代から上がる質問で「痺れた」瞬間が幾つかあった。


例えば、難民に対するより深い理解やEmpathyを高めるため、バーチャルリアリティの活用を提案する院生に対して、「コストがかかりすぎるから実行不可能だ」とジャッジが述べた際「でもそれって、パソコンが世界に現れた時に皆が言ったことですよね」とすらっと述べた時、会場が爆笑と拍手に包まれた。Brexitの議論において、EUの文化自体が戦後と比べて個人主義・Nationalismへとシフトしているのか、という疑問が教授達の議論で持ち上がった時に、ドイツの学生が「我々若い世代は、EUが各国と共にもたらす未来を信じているし、それは数値にも証明されている」と力強く述べて見せた。Nationalismへ固執は、世代格差だとも。私自身も、日本の参議院議員に日本の男女格差における教育の不足を直接訴える機会をもらった。そもそも議論されていることの根底に疑問を投げかけ、それを現代のリーダーが受け止め、挑戦し、時に賞賛するこの不思議な空間は、予想をはるかに上回る素晴らしい経験だった。

自分の世代が背負う責任を、新しく認識する瞬間だった。特に世界が大きく動く一年だったから、世代交代が起こった時に前進できる世代でありたい。どこに前進を起こすかはそれぞれなんだけど、少しずつ自分にとってそれが何なのかも前よりは分かり始めたかもしれない

2017年4月27日木曜日

言語の持つ壁

ここに来て、言語の大切さを知る。

MBAで受けてきた授業を振り返ってみて、Aとかがもらえていた授業はFinanceとか、Macro Economicsとか、Micro Economicsとか、えらい定量系の授業が多かったな、とふと思いだす。一方で、成績がひどかったのはMarketingとかStrategyとか、ふわっとした授業で、どちらもテストのスコアが結構悲惨だった(悲惨といっても、MBAなのでもちろん卒業はできる程度の)。

アジア人は数学得意だもんね、というステレオタイプはさておき、これはなんだろうとふと考えてみる。ちなみに私、アジア人の中でも数学が特段得意なわけではない(むしろちょい苦手)。加えて、どの教科もそれなりにしっかり勉強したつもりである。もちろんコンサル出身なので、むしろマーケティングとかストラテジーとか、本職のはずなのに。。。このまま帰社したらぶっ殺されるんじゃないやろうか

色々と考えたり人と話したり、また自分がこれら教科につぎ込んだ努力を一応肯定的に捉えるとしてたどり着いたのは、やっぱり言語の持つ力は大きいということである。同じことを言っていても、やはり洗練された英語で書かれた一文と、やっとこさ伝えることに精一杯の一文では、差がつくということなのだ。その点定量的な試験は誰が書こうが3は3なので、差がつきにくい(=努力が反映されやすい)ということなんだろう。分かってはいてもやはり高い壁、学校の試験だからどうってことないんだけど、仕事になったらこれって結構意味合い大きいんじゃないか、と思わずにいられない。それこそ、「こいつできてる気がする」という直感のもつ威力。ネイティブと並べられると、同じことを言っても正しいことを言っても、一歩遅れをとってしまいがちということなんだ。

だからと言って、言語を言い訳にしていいのかというと、それは全く別の話である。英語が公用語であることは私が地面を蹴っても変わらないので、日本の外でビジネスがしたかったら、相手の土俵で戦うしかない。ひねくれていてはいけないのである。むしろ、自然に差がつくものなのだ、と腹に叩き込んで、30%割引されるならそれを補う努力をしなければいけないのだ。

2017年4月11日火曜日

日曜日にStory tellingについて考える

Story tellingという授業を受けている。

日曜日2日間にわたって行われる授業なので、正直げーっと思っていた。しかもこういう日曜日に限って、カリフォルニアの抜けるような青空だったりする。うらめしい。リーダーが組織や世界にコミュニケーション(主にプレゼンテーション)をするときに、どうすれば効果的にメッセージを伝えられるのか、という授業だ。受けてみて結構よかったというのが今のところの感想。まだ1日分しか受けていないけど。コミュニケーション系の授業はいっぱいあるし、ある程度受けると何回も聞いたようなことを聞くのであんまり期待していなかったけど、なるほど、なるほど、と思うことが多い。特に、忘れないようにしたいと思ったのが以下


バリエーションが合って初めてオーディエンスを引きつけることができる
バリエーションというのはVocal toneとPaceのことだ。英語がネイティブじゃない人にありがちな「早く喋っちゃう」という癖が、私も例にもれず合った。繰り返し繰り返し、本当に繰り返しそう言ったフィードバックを受けるから、ゆっくり話す、という当たり前の技術を繰り返し繰り返し学び、努力で習得した。するとどうだ、今回の授業では「遅い」というフィードバックを受けるではないか。一瞬ずっこけそうになったが、つまり、メリハリが必要ということなのだ。プレゼンテーションの真ん中は流れるように話してこそ、冒頭やフィナーレでゆっくり話すと「しみる」ということなんだろう。もう一歩上に行けるようなフィードバックだと勝手に解釈して、引き続き精進しよう


「やり辛い」と思ったら新しいことに挑戦している証拠
特に日本人特有のモノトーンな話し方をする私は、「感情の波を感じない」というフィードバックを受けた。そこで同じスピーチを、(なぜか)椅子の上に乗って感情豊かにもう一回するというエクササイズをさせられた。一応感情を入れてみようと努力するんだけど、そうすると頭がそっちばっかりに持って行かれて「何話してたんやっけ」という頭の空白にはまる。「どうやった?」とインストラクターに聞かれて「やり辛い」と言うと、それは新しいことに挑戦している証拠だね、と言われた。仕事では新しいことを思い切ってやるには少しリスクを感じるかもしれないけど、それでも毎日少しずつ新しいことを取り入れるように努力したらいい、と言われた。ぐう、はい。

低い声は、信頼を自然と生む声
これは若干テクニカルなとこだけど、女性の声で信頼できる声はアルトあたりの声域にあるらしい。緊張すると声のトーンが上がるから、これは意識して下げるほうに持って行かなければならない。これは仕事をしている中で経験的に学んだことでもあって、今思い返せばミーティングの前には「声低く!!」とノートの端に書いて、ミーティング中に目に入るようにしていたなあ。プロが言うんだから間違いない。


準備する、でも、準備しすぎない
プレゼンのリハーサルの大切さを学んだのは、MBAに来てからだった。特に自分の母国語でないプレゼンテーションは、リアあるなしでできに圧倒的な差がついてしまう。でも、インストラクター曰く準備しすぎもよくないんだとか。準備しきれていない自分に慣れる、という完璧主義を捨てる勇気。特にビジネスのプレゼンテーションでは、十分に準備できないことだって少なくないから







2017年4月9日日曜日

スイスに行く

エッセイコンテストに入賞して、スイスにただで行けることになった。まさに、棚からぼた餅である(航空券の手配で向こうの不手際があってもめているんやけど。無事行けることを祈る)。スイスでは、エッセイで書いた内容を議論することになる。どうやら日本の元首相も所属するほど由緒ある団体らしく、若干びびってはいるが胸を張って参加することにする。


エッセイコンテストのテーマは"Dillenma of disruption"。そのテーマだったら何に関して書いてもいいよということだった。私は、日本の女性問題に関して書いた。日本の女性進出が叫ばれる中、実際に置いていかれている意識的なギャップ(無意識に起こっている差別)について、アメリカに来て気がついたことが多かった。あれもこれも、差別だったのか、と愕然とした経験が結構ある。そんな憤りを初めて自分の外に表現して、認められたのだから、自分の中では大変意味のあることだった。


一番大きかったのは、コンテストのために書いた、というよりは、これを文章にしてみたかった、ということだった。それほど自分にとって大切な何かができただけ、2年間は有意義だったかもしれないなと思う。にしても、スイスから帰国後すぐに期末テストなので、偉そうにしてこれで卒業できなかったら完全に笑い話である






2017年3月22日水曜日

洗濯室鍵に始まる禅問答

洗濯物を洗濯機に放り込み鍵をかけた後、その鍵を無くすという大事件(アメリカの洗濯機乾燥機は共用であることが多く、アパートの住民は洗濯部屋の鍵を持っている)。こんな狭い部屋のどこになくなるのかと自分の理解しがたい行動にイライラしながら1時間探すが、一向に見つからず。

無意識に日頃の行いを振り返り、「何が祟ったのか。。。」と真剣に悩み始める。大家に連絡するか、でも喧嘩になったらいややな。しかも私の洗濯物が洗濯機の中に放置されていせいでアパートの住民が洗濯できないではないか。。困り果ててやむなくお隣さんにメッセージしたら、快く洗濯部屋鍵を貸してくれた。朗らかに「いやー私もこの前ゴミ箱に間違って捨ててたのよー。ゴミ箱見てみた?」なんて言われて、なんだか一瞬和んだ上に案の定冷蔵庫のミトン掛けに行儀よく掛かっている鍵を発見。

禅問答に始まり忙しい1日であるが、ご近所さんの助けになることなんて冷たい東京の街では無かったから、ちょっと温かい気持ちになった

2017年3月18日土曜日

異常に排他的日本人

「日本人の統一性は異常である」

日本についてMBAの授業で聞くのは稀なことではない。多くの場合は、日本の高度経済成長の要因と、現在の停滞の原因という文脈で聞くことがほとんどである。なので話自体はあんまり盛り上がる感じではなく(あくまでも日本人として)、なんだかすみませんねえという感じで話を聞くことがほとんどである。

そんな中、Business & Public Policyで、またまた似たような文脈で日本が取り上げられた。もはや「はいはい」という感じで聞いていたが、一つ教授が言及した「日本の異常な統一性」に関しては、なるほどなあと思うところがあった。それに関して聞いたのは今回が初めてではないんだけど

教授は日本で仕事をした経験があり、そんな中「排他的」な日本人に驚いたという。外国人に対する扱いは結構ひどいし(アメリカみたいに露骨に差別されるというよりは、どう扱っていいのか分からないので関わりたくないという反応が正しいと思うが)や、「我々日本人」という表現を良く使う、のだそうな。教授は「我々日本人ってなんじゃー!?」と突っ込みを入れていた

アメリカやヨーロッパとの比較にすると、なるほど尚更そうだと思う。日本は島国なので物理的に人種の交配が起こりにくかったし、戦後の一時期を除いて他国に占領されたことのない国である。加えて、戦後の政府の施策やそれに伴った高度経済成長が、「我々日本人」というプライド、今では少し奇妙にすら感じる一体感を生み出していった。一つの言葉を話し、人と違うことに異常に拒否反応を示すあたりも、そういった一体感の側面といえる。ある程度「日本人的な考え方」を私ですら話すことができるのは、ある程度の固定観念にまとめられる何かがあるからなんだろう。これは、きっとアメリカではできないだろうな。一つにまるっとまとめられたら、バークレーあたりがデモを起こすに違いない。

そんな一体感に対して誇らしく思う反面、窮屈に思うのはきっと若い人には多いんだろう。戦後の経済成長のエンジンの一つが今停滞感を生んでいるからこそ、アメリカで感じる「みんな違ってみんな良い」という考えに少し憧れる。隣の田んぼ(日本的)は青いということかもしれないんだけど






2017年3月1日水曜日

怠け者に対して

自分にも厳しいし、他人にも厳しい

小さい頃から、両親によく言われたことである。本当の意味がわかったのはもう少し大人になってからだった。

基本的に、頭の悪い人が苦手だと思っていた。というと、かなり性格の悪い人に聞こえてしまうんだが(実際そうなのかもしれないが)、これが一体なんなのかの正体が、やっと最近分かってきた。

頭の悪い人全員に苦手意識があるかというとそうでもなくて、それを努力で埋めようとする人は結果がどうであれかなり好感度を持って接している自分に気がついた。多分それは、同族だと思うからだと思う。決して自分は賢く生まれたわけではなかったので、かなり泥臭い努力が何に対しても必要だった(例えば、記憶力が著しく低いので、学生の頃は単語帳を肌身離さず持ち歩くくらいしないと学校の授業に普通についていけないみたいな)

おそらく一番苦手というか嫌悪すら感じるのは、凡人の頭を持った怠け者。チームにたまにいる、凡人なのに「努力しない人」。準備すらしていないのにミーティングに遅れてくるやつ、どう考えてもしっかり自分で考えてないやつ、「なんとかなる」とチームを当てにするやつ、全部、すごい苦手だ。飛び抜けて頭が良くない限り結局そういう人は戦力にならない。戦力にならないから、いなかった人として死体のごとくほっとけばいいやんってそうなんやけど、ここが難しいところだ。自分が人間として完成していないために、こういう人々に対して感じる「いらいら」が結果として自分の生産効率を下げている。

なんでなん???と思う自分が止められない。必要以上に、そういう人々に厳しく当たってしまう自分を止められない。自分だって完全な人間じゃないのはわかっているのに、どうしてここはいつまでも成長しないんだろう。禅の心で、自分のその時すべきことに集中できないだろうか。結局いろんな人の中で働くということは、怠け者を時として避けて通れないわけだから、そんな人と出会った時に、変わらずパフォーマンスを発揮できて、かつ周りの雰囲気を壊さない人にならないといけない




2017年2月28日火曜日

日本人として英語を話すということ

「君は、大部分のアメリカ人よりまともな英語を話すんだから」

もちろん、言語的に、という意味ではなく。そんなことを言ってもらった時に、ふと英語に関して考えたという話である。Art of Coachingという授業で、お互いにコーチングをする練習があるんだが、私がCoachしてもらうトピックとして選んだのは「Socializing skill」だった。以前カナダに留学した時より、よっぽどマシになったとは感じるんだけど、やっぱりアメリカ人の中に一人飛び込むのはちくっとする程度のストレスがある。それがなんなんだろう、と突き詰めて考えた時に、やっぱり英語なのかなあと思わざるを得なかった。

みんなが何を言ってるか分からなくて・・・うぎゃーという時期は、多分大方越えた(たまにあるけど)。じゃあなんで英語なんだというと、母国語だといらない少しの「めんどくささ」が自分を会話の中に放り込むのを少し億劫にする。また、相手も同じくらいの「めんどくささ」を感じているんだろうなあ・・という推測が、その億劫をもう少し強くする。Coachingをしてくれた彼の言葉を借りれば、extrapolate (自分もこうだから、多分相手もこうだろう)しているんだろうと思う。

みたいな話をしていると、彼は「ここ(UC Berkeley)にいるということは、君は大部分のアメリカ人よりまともな英語をはなすんだから」と指摘した。本当に会話を少し億劫にしているのは、英語だろうかと、聞いてきた。結局私の場合、むしろ「完璧主義」のせいなんじゃないか、という仮説に二人でたどり着いた。間違えたくない、無理させたくない、バカだと思われたくない・・みたいな自分で作り出したプレッシャーのせいじゃないかと。


結局、会話で大切なのはそこ(英語)じゃなくて、彼の言う通りその外側にあるんだろうなあ。そしてその外側には、誰かと会話を持つに価する何かを持っているはずなのに、いつもどこかで自分に価値がないと思ってしまう。たかだか20分のCoachingだったけど、色々自分について考える機会をもらった気がした。さすがやなあと思う。

2017年2月17日金曜日

バークレーで考える言論の自由

最近、あんまり柄にもなく言論の自由に関してよく考える。
 
私の通った京都大学は日本の学生運動の中心地でもあり、言論の自由。。というか自由に非常に敏感だった。デモも多かったし、何か起こる度に張り紙が貼られたりスピーチが起こったり(時に人が半裸で走り回ったり)、正直ちょっと怖かったからなるべく関わらないようにしていたけど、全体としてそう言った校風は嫌いじゃなかった。
 
バークレーは、そんな京都大学と似ているなと思ったのが最初の印象だった。学校選びをしている時、なんかこのごちゃっとした感じがそもそもちょっと似ていると思ったのと(多分公立故の資金不足?)、バークレーも昔学生運動の中心地だったからか、自由と自治に関して非常に敏感な学校だった。よく使う言葉を使ってしまうとフィットということになるんだけど、多分そういうものを感じた、のかもしれない。
 
そんな学校での生活は、事実そう言った側面を実感することが多い。特に新しい大統領が選ばれた後、学校は大変賑やかだ。デモやスピーチ等々、様々な形で、みんな自分の信じることを成し遂げようとしている。そういう校風がやっぱり誇らしいし、なんだか少し自分の学部生時代が懐かしかった。
 
ただ一方で、言論の自由とはなんだろうと考える。確かに デモやスピーチは言論の自由の形の一つではあるんだけど。例えば「あの人、トランプサポーターらしい」みたいな囁きをたまに学内で聞くことがある。例えば少しでも皆が信じるものと「ずれる」コメントをして、一斉に総叩きに合っている人を見る。人々が成し遂げようとしていることに私は賛成しているはずなのに、そう言った風潮に若干今までと同じだけの「同感」ができない私は、ちょっとおかしいのかな。
 
違うものを信じる人もいるかもしれないし、信じるものが同じでもその程度が違う人もいるかもしれない。その人々が声を出すのをためらう雰囲気がやっぱりある。かくいう私も、こんなもやもやを学内で議論できる(心の)準備はあんまりない。それが曲がりにも言論の自由の結果故なら、少し皮肉かもしれないと思ってしまう。

2017年2月16日木曜日

Authenticity 自分らしくあることの難しさ

Authenticityという言葉はこちらで覚えた。

特にリーダーシップ論とか、今とっているコーチングの授業でよく出てくる言葉だ。言葉通りには「自分らしくあること」。

これが、言葉以上に難しい。なぜなら、実際のビジネスではいかに自分を「自信があるように見せるか」「プロフェッショナルに見せるか」を叩き込まれてきた。それは、必要性を理解してはいたものの、私には何か自分に嘘をついているような感覚を覚えさせた。「自信は無いけど、自信あるように振舞わなければいけない」「まだまだヒヨコだけど、プロとして振舞わなければいけない」というプレッシャーとの戦い。。そんな中で、Authenticityがリーダーとして重要だなどと言われれば大混乱である。どうしてほしいねんと。

ただ、この概念はもう一層意味合いが深くて、いろんな要素に分けられる。その中で特に重要であるのが、Consistantであること。以前仕事をした中で、「この人絶対二重人格」という人が結構いた。プライベートと仕事のモードが明らかに違うというか別人で、もはやその使い分けができることを誇りに思っていた。しかも、社風としてそれを誇りに思っている節が否定できないことがあった。メリハリ、と呼ぶらしい。私はというと、すげーいつか自分もちゃんと仕事人格ができればいいなと思っていた一方で、そういった二重人格の人はちょっと苦手だった。腹の中で何を考えているのかわからないとでも言おうか。

そんな中、AuthenticityはConsistantでないといけないのだ、というハーバードの論文は、ちょっと納得感があった。全てをさらけ出す必要はないし、どの部分の自分を出すかはその都度選べばいい。でも、自分が信じることには自分もコミットするし、部下から「この人Authenticだな」と思ってもらえないと、自分の本当のフォロワーは絶対にできない。自分のフォロワーがいない人は、本当の意味でのリーダーにはならない。

本当の自分を誰に、いつ、どこまで出すのかが本当に学ぶべきスキルであり、それは「仕事人格の構築」とは一線を画す。また、このAuthenticityのコントロールは生まれつきではなくて、学べるものらしい。自分を良く知ること、他人を良く知ること、他人を知ることで、どの部分の本当の自分が、その人と繋がれるかを導き出すこと。どう考えても一朝一夕でできなさそうだが、久しぶりにほほーと思ったので記録しておくことにした。






2017年2月8日水曜日

MBAが無駄かどうか

「MBAの授業、全然楽しくなかったんだよね」

という言葉に、一瞬「は。。」と言葉に詰まったのは言うまでもなく。

そもそも、MBAになんで行こうと思ったのか、そもそも行く意味ないんじゃないのか。みたいな質問は他人からもされるし自分でもたくさんする。そして、その都度自分なりに納得したり、苦悩したりする。


学びが多いのは、間違いない。行く意味あるのか、というと、絶対そう。でも、じゃあ何を学んだんですか、と言われると、一瞬考えてしまう。これは、行った人にしかわからない感覚かもしれない。そんな中、「MBAの授業が苦痛だった。パーティとかネットワーキングとか大嫌いだったし、授業の内容も実戦で使える実感がなかった」と言ったのは、MBA後世界で一番大きい戦略コンサルティングファームのベイエリアオフィスで働き、その後マネジャーに昇進した日本人の方だった。でも彼は MBAに来たことを後悔しているのではなく、来た意味は絶対にあった、と付け加えた。自分に関して、とてもよく知ることができた、と。

そもそもMBAに行ったことがない人や、日本の外で腰を据えて働いたことがない(もしくは働く気もない)人がMBAを否定するたびに「はいはい」と思って聞き流していた一方で、彼の言葉は、すっと胸に入ってきた。

MBAで「これができるようになった」というのは、難しい。もちろんそういう人もいるのかもしれないけど(会計とか、金融とか??でもこれ、明日から使えるイメージはあんまり湧かなかった)、どちらかというと「気づき」の部分が大きい。自分は、何に対して憤りを感じるのか、どういう価値を出したいのか、何を怖いと思うのか、何に対して偏見を持っているのか・・ たまに目を瞑ってしまいたい自分のあんまり綺麗じゃない部分に、何度も、何度も目を向けることを強要される。たまにしつこくてイライラするし、なんでもかんでも議論しなくていいやんみたいな反発心を持つこともあるが、でもその中で、前よりももっと自分について知ることができる。


苦しんで、海外に残って成功した人の言葉だから、今までで一番納得感があった。かつ、なんとなく「これでいいのか??」と思っていたMBAの総括に、「それでいいんだよ」と言ってもらった気がした。

2017年1月26日木曜日

大学受験の夢

ベイエリアにもやっと刺すような寒さが到来し、「冬か」と思うようになった。道端にまだコスモスが咲いているのは無視するとして、やっぱり朝のこの刺す感じは日本と変わらないなあと思う。

急に寒くなったのが影響したのか、1年に1回は必ずみる大学受験の夢を見た。それは決まって、「間に合わない」という激しい焦りで、例えばテストの結果が返ってきて、どう考えても受験までに仕上がらない、とか、出なければ行けなかった塾の授業を丸々忘れていた、とか、毎回パターンが違う上にそのバリエーションに自分でも感心するのだが、最後は絶望的な気持ちと焦燥感に襲われる。

あの特殊な時期はつくづく自分の人生に影響していたんだな、と思う。「終わってみればいい思い出だよ!浪人したって人生長い目でみれば関係ないよ!」と言う既に大学に通う先輩に、内心「ふざけんな。現役で受からんとあかんねん」と思っていたことはさておき、あれほど必死に一つの目標に向かって努力することはもうないんだろうと思う。大人になると、結果よりも過程、道は一つじゃない、みたいな、人生を楽にする考え方を受け入れていくんだけど、大学受験当時はどう考えても結果は白か黒だった。しかも「努力しないと絶対に報われないけど、努力が必ず報われるわけではない」という非常に理不尽な白か黒である。


でも、刺すような冬が来て思い出すのは10年前とは思えないとても鮮やかな光景で、匂いや音まで思い出すことができる。朝暗いうちから家を出て、誰もいない教室に電気をつける音とか、静かな廊下に響くスリッパの音とか、思ったより滑りのいい教室の扉なんかがちょっと懐かしい。ついに試験の後大学の教室を後にするとき、数百人詰め込まれた大きな教室を見回して「皆同じくらい頑張ったのに、この中の2/3は受からないんだ・・・」と知っていたはずの絶望的な事実にちょっと涙ぐんだのも覚えている

日本の教育はやっぱりちょっと間違っていると思うし、受験の内容はそもそも変わっていくべきだと思っているけど、なんとも言えないあの時期の経験はやっぱり終わってみればいい思い出だったんじゃないか、と今更思っている。でも目覚めが悪いので、焦る夢はいい加減見ないようにしてほしい

2017年1月16日月曜日

交渉における心構え

Nogotiation授業中の自分があまりにも不甲斐なくて、Getting to Yesという交渉術の本を買った。一応授業で指定されていた書籍だったんだけど、授業で使わない本はあまり買わない。が、今回は藁にもすがる思いで買った。

ビジネス本って相当つまらないものが多い上に、異常に高くて、かつ英語でそれを読むってかなり苦痛なんだけど、実はこの本結構良かった。さらさらと読めるビジネス本って結構珍しい。


同じ授業を来学期とる友人にこの本をあげることにしたので、忘れないうちに「ええな」と思った内容を書き残しておくことにした。かなり徒然なるままに書いてみたけど、多分このまま味噌漬けにして1年後くらいに見返したら、違う味がする気がしている


  • ポジション(例:売価xxx円)に固執するのではなく、そもそも自分・相手が何が達成したいのかに注目する(例:今期のKPIを達成し、上司からの評価をあげること)
  • できるだけ、感覚ではなく客観的な指標を使うよう議論を誘導する(例:市場価格)
  • 「最低金額」に固執しない(例:最低xxx円で売りたい)。ここまでだったら大丈夫というラインは、得てして無謀なラインになりがち(特に内輪で決定された最低ラインの場合)で、本来成功するはずの交渉が決裂する場合がある。かつ、そこに固執するあまり交渉中に学んだ相手に関する情報が無駄になりがち
  • 最低金額、よりも、何が「自分にとっての他の選択肢」なのかを明確にして交渉に臨む
  • 相手の答えやすい形にして交渉に臨む(例:Yes Noで答えられる条件にしてみる。ただし、相手の不安や希望をきちんと理解し、条件にきちんと盛り込まれていることが前提)
  • ジョイントドラフトの威力。契約ドラフト作成中はコミットメントを強要せず、双方の意見を盛り込んだ契約書に、批判を受け入れ、改善することを目的とする
  • 事実の訂正に対して寛容な姿勢であること(例:市場価格xxx円と聞いているのですが、もし違ったら訂正いただけますでしょうか)
  • 汚い手を使われたら、その方法自体を指摘するのもやり方。ただし、こちらはあくまでも客観的な指標に基づいた交渉を続けること。やり返すことに対するリスクを理解する
  • 交渉とは別のところできちんと関係作りをする
  • 関係構築のために妥協しない。ただし、関係が既に構築されていて、相手が明確に「こちらが妥協した」ことが相手に明確である「関係維持」のためには、時に妥協することが今後の交渉力になることがある
  • すぐに交渉を完成しようとしない。一つの条件で合意が取れなければ、他の条件を交渉する。最後までコミットさせないこと自体が、相手を安心させることがあり、柔軟な交渉が可能になることも
  • ゴールを達成することにこだわりを持つのはいいが、達成の仕方に対しては柔軟であれ




2017年1月14日土曜日

禅寺卒業?

興味のあることが増えたと思うのは、多分いろんなことに興味がある人々に触れたせい。

こっちの人は、学生や社会人問わず、「趣味」が多い人が多い。ベイエリアということもあるかもしれないんやけど、なんだかんだみんな色んなことに興味があって、日本でよくある「ほぼ無趣味」が多分理解できない。それこそ、ミュージカルだったり、クラシック、楽器、スポーツ、等々。。。娯楽ってこんなにあったのか、というくらい、みんな凄まじい種類の趣味を持っていて、いつも感心してしまう。だから、「趣味は?」と聞かれると、ぐっと詰まることも多い。私の趣味ってなんだろう。趣味以外にも、娯楽を超えた枠で「興味」が広い人が多い。子供の教育だったり、ホームレス問題、外交、等々。。。みんな、すごいなーと思う一方で、私の興味ってなんだろうとまた考える。

多分趣味も興味もわりと無関心で生きてきたんだろうなあと思いつく。学生時代は基本的にやれと言われることが多いから、それ以外に使う時間は(幸か不幸か)あんまりない。したがって、特に強い理由がない限り、急に興味が発現することはない。
聞かれるととってつけたように「xxxに興味があって・・」みたいな話はするんだけど、じゃあそれにすごく精神的に投資しているかというとそうじゃないから、多分違うんだろう。社会人になってからも、猛烈に忙しくて、興味と言えるほどのものもなく、というか、興味ってそもそも何なのか、が分からなかったし、かつそういったものにダラダラと時間を費やすことがちょっと無駄に思えた。その先にはっきりとしたゴールがない限りは(そして多くの場合はっきりとしたゴールなど興味程度のものにはない)

でも最近、そこまで難しく考える必要ないのかもしれないと思い始める。例えば、ワインはこっちに来てから好きになった。もっと、違いとか美味しさとかがわかったら楽しいなあと思う。脱北者の人の手記を読んでから、北朝鮮の事情をもっと知りたくなった。本を何冊か買ってみようかなあと思う。やっぱり、日本の教育ってダメだよなあ。日本の教育の枠の外で、グローバルリーダーシップを教えている人がいるから、話を聞いてみようと思う。多分それぞれが将来どうなるとか自分のキャリアにとってどうとか、今あんまりないんだけど、面白いなあと思うことに、もうちょっと素直になっていいんやで、と周りに言われている気がする。


多分、「面白いかも」という声は自分の中にずっとあったんやけど、周りの爆音にかき消されてきたんじゃないだろうか、と思った。そして、仕事に戻って忙しくなると、また爆音が聞こえてくるはずだから、そういった興味に敏感になることに、もう少し意識を注いてみようかと思う。それが仕事とかキャリアとかに今繋がるわけではないんだけど、将来長い目で見たときにどうなるかわからないし、たとえ繋がらなかったとしても、人間としての厚みができたら、それでいいんじゃないだろうか。必要なもの以外削ぎ落とそう、という考え方は、昔から哲学的に信じていたことやけど、もういい大人になって、いつまでも禅寺みたいな生活しなくてもいいかもなと思ってみたり

2017年1月11日水曜日

雨の日を生産的に過ごすには

ベイエリアに関して人は抜けるようなカリフォルニアの青空を想像するかもしれない。

・・に反して連日の大荒れ天気である。今日に至っては、横殴りの雨が降り続き、コーヒーチャットで朝外に出た以外は基本的に家に退去している。

今日は生産性の低い日だった。。。と思うと夜凹むので、基本的に家に閉じこもる日はそうそうない。なんだかんだといそいそ用事を作っては外に出るようにしている(たとえそれが映画とか割とどうでも良い用事でも)。が、そんな気さえくじけそうな大雨である。ので、言い訳に書かなければいけなかったエッセイをちょこっと書いて、英語の勉強と称してNetflixを見て(完全に言い訳)、読みだめていた本を読んで、鬱々と過ごしている。。
そうはいうものの、そんな日もなんとか実りのある日にする悪あがきに邁進している。

例えば昨日大雨の中なんとかたどり着いたジムでは、84歳のおじいさんが私の横のランニングマシーンで1.2 mile / h で歩きながら話しかけてくれた。ちょっと(かなり)私の中国語がなまってて聞き取れなかったけど、移民で大昔にアメリカに来たんだとか。夫婦で仲良くジムに来るなんて、なんだか微笑ましいなあ。「私も君みたいに若くて早く走れたらいいなあ」とか言われたけど、わたしは84歳になってもジムに来て運動する自信ないから、すごいよおじいちゃん。いや、84歳になってもジムで歩けるくらいに今から頑張ります。

後、外にでれないのをいいことに(!)ふと思い出した昔の塾の恩師に連絡を取りたくなって、インターネットの波に埋もれてみる。同年代の人なら、こんなに見つけるのが簡単な世の中になったのに、昔の恩師を見つけるのは、本当に難しかった。というか見つからなかった。唯一わかったのは、10年前くらいまでは塾で教鞭をとっておられたこと。今は60歳を回られているだろうか。定年されて、もう働いていないんだろうか。。彼が昔、厳しく優しく、私の興味に粘り強く応えてくれたことが、急に懐かしくなってお礼を言いたくなった。情報社会の中で、一人の人を見つけるのがこんなに難しいなんて、見つからないからなおさら、もどかしい気持ちになった。元の塾に問い合わせても、個人情報なんとか。。とか言われて、連絡先なんて教えてくれないんだろうなあ。

と振り返ってみると、何もしてないわけではないんだな。結論としてはやっぱり心がけである。ただ相変わらず雨は続くみたいだけど週の予定は良いペースで立って来たし、やっぱりなんだかんだで、何かしていることが好きなんだろうな。


2017年1月10日火曜日

聞き上手は好かれ上手

結局好かれるのは聞き上手だという話

ベイエリアに帰ってきてからMBA受験希望の方とのCoffee Chatも含めて人と会う機会が多く、こんな当たり前のことに改めて「そうやなあ」と自戒も込めて思いました。

やっちゃいますよね、悪気がなくても人の話を自分の話にすり替えちゃうこと。「あーそれ分かるー」と言いつつ、気が付いたらその人の話じゃなくて、自分の話してしまってそれで盛り上がって「ん?なんの話してたんだっけ」と思うこと。これ、もちろん私も含め老若男女で経験があります。

人はつくづく、「自分の話がしたい動物」なんだと思います。それは、時に承認欲求だったり、時に溝を埋める努力だったりしますが、人がそれをするのを見て、それが話し手に与える影響に気がついたりもします。

一方、後から「あの人、良い人だったなあ」と思うのは、概して聞き上手な人であったことに気がつきます。そして聞き上手とはただ静かな人ではなく、人に興味があって、その人を理解したいと思って話を聞く人なのだと気がつきました。こんなこと頭では分かっていたはずなのですが、それが優雅に実践されるとどうなるのかを目の当たりにして、少し感動しました。そういう人達は、「自分の話がしたい動物」という人間の本来の性を乗り越えた、一歩本当の意味での大人なのでしょう。

大阪人の (話したくて仕方がない)という性をぐっと乗り越え、彼らのような素敵な大人になるべく、少しずつ努力したいなあと思った新年明けでした。


2017年1月6日金曜日

メキシコでの新年

新年にメキシコに行ってきた。

どこまでも青い海である。場所によって海の場所が違ったりして、何がこの色をつくっているのか、とっても不思議。
メキシコといってもカンクンなので、超がつくほどの観光地である。英語はほぼどこでも通じるし、何ならアメリカドルまで流通している。

もしホテルゾーンと呼ばれる、食事やらなにやらまでが全部ついていて、プライベートビーチでごろごろできる地域に滞在したら、本当に英語だけで過ごせたと思う。ただ、私が滞在したのは安めのホテルが集中する、ダウンタウンの地域なので、そういうわけにはいかなかった。ありがたくも、ちょっとだけメキシコを見ることができた気がする。とは言っても、やはり本当のメキシコとは程遠いくらい安全なんだけど。


カンクンは政府が「ここ観光地に決めた!」として開発した地域らしい。道路も綺麗で、素敵なレストランがたくさんあって、海も綺麗で、治安も驚くほど良くて、、、「決めた!」でここまで残りのメキシコと大きく異なる観光地を作り出せるのは単純にすごいと思う。都市開発って、全然知らんけど、きっと面白い分野なんやろうなあと思う。

アジア人があんまりいないのも良かった。日本でも人気になりつつあるハネムーン地らしいけど、さすがにちょっとアジアからは遠いと思う(飛行機で17時間くらい?)半分以下の時間で行ける場所に住んでるのはやっぱりラッキーかな。物価も、ダウンタウンで過ごす分には全然高くなかったし、アメリカに住んでる人が気軽にバケーションで行くのはちょうどいい場所だろうなと思う。