2015年11月17日火曜日

告白・プロポーズ

アメリカ人との恋愛感のギャップに笑ったという話

日本には告白という儀式がある、という話をすると「プロポーズとどうちがうねん」というツッコミを受けた。確かに。

でもそこまでコミットしてないんだよね。きっと。日本では告白してカップルになる前に手を出したりするとちょっとね、という感覚があるのは決して私だけではないのでは。オープンに手をつないだり物理的コンタクトがあるのは、やっぱりこの儀式を通過してからが一般的な気がする

一方アメリカでは、そういった物理的コンタクトを持ちながらも「平行に走らせる」ことがある程度認められているようだ。そしてお互いに「お、こいつ絞ってきたな」と感じ始めてから始めて「Are we exclusive?(他にデートしてる人いないの?)」なる確認を実施、晴れて公式カップルになるそうな。なんかちゃらいと思ってしまうのは日本人やから?

かつ日本にはバレンタインデーホワイトデーなる「お膳立てされた告白日」があることを話すと大受け。かつ「ホワイトデーに返事もらうのに女性は一ヶ月もまたないといけないのか!!」とまた大受け。確かに言われてみるとそうかも。そこに日本的控えめなやきもきどきどき要素が求められているんだろうか。改めて聞かれると深い


とはいうものの、これら話で盛り上がりすぎてミーティングがほぼ半分ぶっとんだのは考えようかもな。別にええけどな。お腹よじれた









同窓会からの

deep-thinker, organized, passionate, organized, driven, open, leading, problem-solving, open, organized structured, smart


一体何かと。チームからのフィードバックだ。無記名で、それぞれのチームメンバーに対してこの人を形容するイメージを書きなさいというお題だった。

フラストレーションを感じていたからこそ、嬉しいやんか。そして、アメリカでアメリカ人に混ざって、こういう評価を受ける日が来るとは到底思えんかったなあ。(カナダの血なまぐさい経験があるからなおさら)

今日のミーティングはとってもうまくいった。一回もリードで迷わず、最後までチームを導けたのは初めてかもしれない。(意地でもホワイトボードから離れないという。。。)そして何より、「できた!」という達成感っぽいなにかがチーム内で共有されていたのがとても嬉しかった。同窓会の反省を受けて、人よりずっと準備して臨んだ。そして、チームが「こいつに乗っかっても良さそう」とおそらく思ってくれた瞬間からは、自然にリードできた気がする。にやにや

にやにやしすぎて気を抜かずに、こいつに乗っかろうと信じ続けてもらわなければいけない。それが本当に自分のものになるまで、騙し騙し裏でこそこそしっかり準備しよう。

2015年11月11日水曜日

同窓会

「くやしいんでしょ」

と言われてはっとなった。確かに、そうなのかもしれない。

先日、たまたまサンフランシスコを訪れていた上司とご飯を食べる機会があった。彼自身もMBAを取得していて非常に理解があり、またMBAのための私の推薦書も書いてくれた。(ほんと感謝)


他に留学している同期も呼んで小さな同窓会となった。そんな中、各々MBAで感じていることをあれこれ話していて、いろいろとフラストレーションの話になった。「本当の自分はこうじゃない!ってくやしいでしょ」、と言われて、そうか、そういうことなのか。と思った。今までもやもや感じていたこれはなんなのだろうかと。そしてアメリカ育ちの彼でさえそんなこと感じたんやなあと。

みんなとワイワイ話している時に、あ。。これここで話したら面白いかも。。と一瞬頭をよぎってめんどくさいからやめた。となった瞬間。どうしたらいいんだー!とチームが混乱している時に、こうだよ!と説明したいけどどう考えても余計に場を混乱させている瞬間。これってどういう意味??と周りが議論している時に「あああー違うでーー>< こっちやでーー」と教えてあげたいけどぐっと息を飲む瞬間。自分はもっと気楽で、ユーモアがあって、できる人間なんだ!と叫びたくなってしまうような憤り。。。


決して自分が周りから比べてずば抜けて面白いとか頭がいいとかそういうことじゃない。本来の自分であるはずの部分からの「差分」が恐ろしいくらいの憤りを生んで「くやしい」と思ってしまう。なんだか割引された自分がしょうがなく私の前に立っていてその場をやり過ごしているような感覚。。そして、その憤りからdefensiveになったり、ちょっと言われたことに対して過剰に反応したりしてしまっている気がする。決して相手にそのつもりがなくても。

「実はゆかだけじゃなくて、周りも必死にもがいてるんだよ。皆自分が自分でないみたいな不甲斐なさを感じて、それでも必死に頑張るんだよ」と言われ、そうなのか。と思わず考えた。


アメリカの人がそれくらいもがいてるなら、私はその100倍しゃかりきもがかないといけない。もちろんアカデミックをするためにここにきたわけじゃないけど、このプロセスから学ぶことが多い気がする。本当の自分にどんどん近づくことができたら、もっと自信をもって前を向けるはずで、どこでも本当の自分になれるって、めっちゃすごいことじゃないんか。

2015年11月1日日曜日

Santa Cruz

11月が始まろうとしている。先ほどハロウィンのコスチュームを身にまとった子供達とすれ違った。

新しい学期が始まる前に、1週間の休みがあった。ここぞとばかりにダラダラ過ごしてしまったけど、学校の友人とSanta Cruzというリゾート地に旅行に行ってきた。「友達の友達は友達やろ」というアメリカ的発想に基づき、気がつくと女子9人の大旅行になっていた。

ワイナリーに行ったり、トレックに行ったり、海辺ではしゃいでみたり(そして友人はここでプラダのサングラスを流された)、普通の女子旅行を楽しんだ。夜はベッドにみんなで集まって、夜が更けるまでマフィア(日本では多分人狼と呼ばれているゲームかも)を繰り返し遊んで、お酒をたくさん飲んで、いっぱい話をした。なんだか、初めてこっちにきてちゃんとクラスメートと時間を気にすることなく話をしたなあ、としんみりなってみた。

アメリカにきてやっぱり感じるのはカナダでの経験と同じで、アメリカ人に対して感じるなんとなくの壁だった。それが言語からきているのか、文化的背景からきているのかはよく分からない。とにかく「本当の友達」になりにくいのだ。アメリカ人と普通に話したり笑ったりできるのに、彼らと将来自分の結婚式に呼ぶほどの友達になるのが本当に難しい。対してアジア人だったり、留学生だったりすると、その壁は圧倒的に低かったりする。多分アメリカ人も自分たちの壁の中にいるのがやっぱり落ち着いて、その心地よい壁から出るのがちょっと億劫なのかなと勝手に思ったりもする。留学生からもにたような話しを聞くから、この感覚は私だけではないんだろう。

そんなこともあったから、ここで改めて一緒に時間を過ごして、普通にその時間を楽しめている自分にちょっと安心したりもした。そんなことでにやにやしながら荷造りをしていると、一人のアメリカ人がぽつりと「本当に今回この旅行に来れてよかった」とつぶやいた。「やっと、本当の友達ができたようで安心した。普段学校ではみんな5分立ち止まってお互いに話す程度で、本当の友達を作るのが本当に難しい。こうやってきちんと自分のことを知っている人たちができると安心する」と誰にともなく話した。

うちにとっては「はあーー!」という発言だった。仰天、なんだそうだったんかー!?という感じだった。どう見たってアメリカ人はいつも余裕に見えて、壁の中の集団にきちんと自分の居場所をちゃんと見つけているようにみえた。壁の中で孤独を感じている人もいるんだ、という、新鮮な発見だった。

きっと、壁の中でそうやって感じている人多いんじゃないかな、とふと思った。そもそも壁の中に入ってない人もいるのかも。突然今まで自分が見てきた光景が新鮮に見えた。明日からは、もうちょっと積極的に声をかけてみよう。やっぱりみんな新しい環境の中で、自分の居場所を見つけようと必死なんだ。そこで第一歩声をかけるのが私でもいいような気がした。