2016年8月25日木曜日

ねこ

本当にどうでもいいことなんやけど、猫が多いんですよね、バークレーは。特にこの猫達、私の顔を覚えて前を通りかかるたびににゃーんとか言いながらすり寄ってくる。

本当、なつかれると可愛くなるんやな。毎日うちの猫のように可愛がっている。荒んでいるときは思わず話しかけてしまうし、そうするとしたり顔で聞いている(ように見えなくもない。)独身女性が寂しくなると猫を飼う、というのはなんかわかる気がする。しらけない程度の抜群の距離感。構って欲しいのかほしくないのか、なんともわからんが、毎回寄ってくるので多分ちょっとは遊んで欲しいんかとおもう

新学期が始まるにつけての漠然とした不安

今週の月曜日、新学期が始まった。二年目MBAの秋学期開始である。

仕事から離れて学校にまた戻るというのは、なんとも不思議な感覚だ。座って授業を受けていると、確かにこんな感じだったなとは思うんだけど、やっぱり自分はすごく特殊な環境にいるんだろうなと思う。そして、ここに感じる漠然とした不安感。朝起きると、大したことがあるわけではないのに、その日1日に漠然とした不安を感じる。これは一体なんだろう。

多分一つは、自分は毎回環境の変化にすっごく弱いので、そのせい。インターンの時住んでいた家から元の家に引っ越して、学校には当然だが元二年生が卒業していなくて、授業は新しいものを選ばなくてはならなくて、、、等、これほど震度が大したことないことでも、大地震並みの十分揺さぶりを感じている。

もう一つは、まだはっきりと得体の知れない「焦り」。あと1年だから、何かしないと、何かしないと、と相当前のめりになっている自分がどこかにいる、気がする。「ためになる授業をとらないと」「何か学ばないと」「学校以外で何かできることないか」みたいな、細々とした考えをじりじりと背中に感じる。

一歩下がって考えると、多分そんなに焦る必要はないはずなんだけどな。授業で学びがあるかどうかは、本当に自分次第だと昨年感じた。どんだけすっとんきょうな授業でも、毎回学んだなーと感じることが多かったのは、「学ぼう」という姿勢がもたらした効果だった気がする。逆にそういった気持ちを2年目も変わらず持ち続けることができるだろうか。恐れずに自分の思うことを、他人と分けることができるだろうか。


授業以外で何かすることないか、ということも、直感に従えば多分できるはずである。もう当たり前になっているが、クラブの運営もしているし、その他に興味がないことはない。本もたくさん読みたいし、そういうことに時間をつかってもきっと良い。人と会うことにもっと積極的になることも必要だと思う。

そん考えると、不安になることなんてないはずや、と自分にぶつぶつと言い聞かせて、なんとかこの一週間を乗り越えるつもりである


2016年8月12日金曜日

インターン終了:喧嘩腰の気合の行方

インターンが終わろうとしている。意識的に、作業を引き受けるのを止め始めた。もう中途半端に手出しすると、かえってややこしくなるような段階に来ていると感じるから。

本当に自分は米国で通用するのか、という疑問を胸にこの会社にのこのことやってきた。通用する、とは、日本人であるとかいうことが一切価値にならない環境で、一人のビジネスパーソンとして現地人とどこまで競えるのか、という若干喧嘩腰の気合である。

結果、多分できた。

今日直属の上司の一個上の上司とのフィードバックセッションがあった。いろいろとフィードバックをもらって、今後改善すべきこと等しっかり聞いたので、なんか久々に学んだ感を得、おつかれーした!と部屋を去る雰囲気にすると、その上司からこんな言葉をもらった。

「君の持っているスキルだけじゃなくて、情熱とか、Can do attitudeとか、本当に、素晴らしいと思った。君は僕がいつどんな無理を言っても、一度も「それどうすればいいのかわからない」と言わなかったし、次会うときにいつも答えを持っていた。もし僕が君の採用に関して何か言う機会がもらえたら、絶対に君を取れと伝える。絶対に帰って来なさい。インターンがここまでインパクトを社内に残すプロジェクトを完成させることは滅多にない。きっと、誇りに思っていい。」

なんと、手放しに褒めているではないか。でも、アメリカって人を褒めるのはもはや文化だからな、とはっと我に帰り、若干割引して聞くことにして、でも「絶対に帰ってきてほしい」という言葉はとっても嬉しかった。以前カナダで就職活動して面接すらもらえなかった5年前から、海外で爪痕残せるまでに成長したんだな、と素直にちょっと感動した。

まあこの人に採用権限はないし(縦社会やからな)、私がここに残りたいかというとかなり疑問だが、これを持って、非常にいい経験だったと言ってもいいんじゃないやろか。海外でなんとかやっていく自信がついたことで、将来に対する選択肢がぐんと広がったきがする

2016年8月2日火曜日

不安な人にとって、安心できる人になるには

不安になりがちな人に対して、何かを伝えるって難しい。これは、ふとインターンが最終フェーズに入って学んだことである。

私の作ったモデルに、一部欠陥が見つかった。正確に言うと、マネジャーが渡して来たデータが間違っていたので、玉突きで不良が起こっていた(本当にやってくれた)。「お」と思って、正しいデータに直した際、どれくらいインパクトがあるのかざっくりと試算する。まあ影響なくはないが、大騒ぎするほどでもないな、という結果。かつ、長期的な運用には一切問題ないことがわかった。やれやれと胸をなでおろしつつも、やっぱ言っとくか、と電話をマネジャーに入れる。


出だしがまずかった。「こうこう理由で、欠陥が見つかったんですが、結果はxxなので、心配ないと思っています」と伝えたが「欠陥 (problem)」という言葉が非常に悪かった。かつ、安心させようと「心配ない」を繰り返したことも良くなかった。彼の不安ボルテージが「がっ」と上がったのを電話越しに感じた。「やば」となった時は手遅れ。そもそも気が小さくて、目線が低い人。目先のミスとか、偉い人に見つかったらどうしようとか、そういうことばかりきになる人なのだ。

「これじゃあ、結果なんか見せれない!」と急に全てなかったこと、つまりは海の藻屑にしようとするマネジャー。「いや、それはやりすぎや!」と踏みとどまり、順番に説明しようとする私。「じゃあこういう分析がないとだめだ!」と謎の作業を投げ返すマネジャー。私「その分析無意味」とあっさり拒否。もはやコントみたいな展開で、今思い出しても苦笑する。

なんとか落ち着けたものの、どうすればよかったのかなーと今になって振り返る。答えはない。前置き(心配不要)をするよりちゃっちゃと問題があることを伝えて、そのマインドセットで聞かせればよかったか。先にメールの一本でも入れて、心の準備をさせておけばよかったか。。。

不安になっている人(なりがちな人)に、どうやって「難しいコミュニケーション」をするのか。あまりそういう場面に立つことがなかったからこそ、自分はまだまだ未熟だなと感じた。圧倒的な安心感と、コミュニケーション能力を持った先輩を覚えている。ああいった、「多分大丈夫」という謎の安心感をどうやったら出せるようになるのか。。。自分に足りないものが見えただけでも、よかったんやろうな。