2015年12月20日日曜日

禅問答 2Dから3Dに。。。

早いもので、一学期が終わった。こんな調子で過ぎていくんだろうなあと、とんでもなく恐ろしいものを感じていたり。。一学期の後半はペースもつかめてきて(というか気の抜き方がわかってきて)、めっちゃ忙しい!死ぬ!というわけではなかったが、その分悩んだこともある。

すごい狭い世界にいたよな、ということに早々と気づき(というかいろんな意味でも洗礼を受け)、自分の立ち位置を考えたことも非常にいい学びだった。でも、10年20年考えた時に、この2年はどう位置付けなんやろう。まず、結局何がしたいねん、ということに悩みは尽きるかも。

仕事をしている時は、それなりに引いて将来のこととかやりたいことを考えてるつもりでいた。が、いざ仕事と切り離されて、全く毛色の違う人たちに会った後に、その視野の狭さに愕然とした。価値観は二転三転して、ジェットコースターに乗ってるみたいな車酔いを経験した。というか、している。吐きそう。

そこで結局何がしたいねん。ここに、本当の心構えでたどり着けただけでも価値があったと思っている。自分が何をしたいかわかっている気がしていたが、禅問答のような毎日を過ごすうちに混乱し始めた。「本当にそれしたいんか?」と自分に尋ね続けるのは結構しんどいけど、いやでもそういう経験をすることになる。そして、おえーってなってるときに、また180度違う価値観を横殴りでぶつけられるような毎日。。

MBAって意味あるん?みたいなことをいう人は結構いる。そして、その意見自体には違和感はない。別にMBAでなくても学べることはいっぱいあると思う。しかも、すべての人に与えられた機会じゃない。時間もかかるし、結構の確率で外国に行かなきゃいけないし、ストレスもあるし、何よりお金がかかる。でも、チャンスがある人に対しては、絶対行った方がいい、っていうと思う。機会費用とか、人生80年考えたらごみくずみたいやし、特に大変な仕事をしている人ほど、強制的に「引く」こと、しかも「引く」だけではなくて、横から殴ったり撫でたりしてくれる、みたいな機会は、間違いなく貴重やと思う。自分は2Dが3Dになるレベルで世界観が広がった。

ちなみに一学期頑張った自分にご褒美でこっちの友人とソルトレークシティに行ってきた。特に何もないところなので、なんでそんなとこいくんといろんな人にツッコミを受けたが、のんびりした田舎で面白かった。やっぱり、旅行は人を近づけるよね。

充電もしたことやし、新学期までにもうちょっと真剣に禅問答してみよう。まじ吐きそう。



2015年12月4日金曜日

サンクスギビング

アメリカ的サンクスギビングを体験した

実はサンクスギビング自体は初めてではなくて、カナダにいた時に日本人夫妻にお招きいただきそれっぽいものを体験したことがある。とは言うものの、サンクスギビングとはそもそもアメリカ由来のもので、本場でそれを体験するのは初めてである。

なんたってお祭り騒ぎだった。空気感は日本の正月に似ている。数日前からサンクスギビング用のご馳走材料が「どや」顔でスーパーに並び、ターキーの特設コーナーができ、帰省用の航空券は高騰し、学生はそわそわし始め、話題はほぼ「サンクスギビングなにすんの?」で始まる。前日にはスーパーに長蛇の列ができ、小さいメモを持ったお父さん達が大量のお使いをこなしていた(めっちゃかわいい)。


由来そもそもしらなかったけど、昔アメリカに移住したヨーロッパ人が食べ物に困っていたんだが、ネイティブアメリカンの人に助けてもらって一緒に食事会をしたのが始まりだとか。ターキーとかマッシュドポテトとかを食べるのは、その食事会ででた料理を真似してるらしい。なるほど


サンクスギビング当日は町中のお店はほぼ閉まり、ほんとに正月みたいだった。たくさんの人が家族と時間を過ごすか、仲のよい友達と過ごすのだとか。にしても、ここからクリスマスまで一ヶ月もないことを考えると、アメリカ人がここからホリデーモードに入るのはなんかわかる。以前仕事してた時に「なんでアメリカ人はサンクスギビングあと急激にレスが遅くなるのか。仕事しろよ」は永遠のテーマだったが、今になってなんか納得。

2015年11月17日火曜日

告白・プロポーズ

アメリカ人との恋愛感のギャップに笑ったという話

日本には告白という儀式がある、という話をすると「プロポーズとどうちがうねん」というツッコミを受けた。確かに。

でもそこまでコミットしてないんだよね。きっと。日本では告白してカップルになる前に手を出したりするとちょっとね、という感覚があるのは決して私だけではないのでは。オープンに手をつないだり物理的コンタクトがあるのは、やっぱりこの儀式を通過してからが一般的な気がする

一方アメリカでは、そういった物理的コンタクトを持ちながらも「平行に走らせる」ことがある程度認められているようだ。そしてお互いに「お、こいつ絞ってきたな」と感じ始めてから始めて「Are we exclusive?(他にデートしてる人いないの?)」なる確認を実施、晴れて公式カップルになるそうな。なんかちゃらいと思ってしまうのは日本人やから?

かつ日本にはバレンタインデーホワイトデーなる「お膳立てされた告白日」があることを話すと大受け。かつ「ホワイトデーに返事もらうのに女性は一ヶ月もまたないといけないのか!!」とまた大受け。確かに言われてみるとそうかも。そこに日本的控えめなやきもきどきどき要素が求められているんだろうか。改めて聞かれると深い


とはいうものの、これら話で盛り上がりすぎてミーティングがほぼ半分ぶっとんだのは考えようかもな。別にええけどな。お腹よじれた









同窓会からの

deep-thinker, organized, passionate, organized, driven, open, leading, problem-solving, open, organized structured, smart


一体何かと。チームからのフィードバックだ。無記名で、それぞれのチームメンバーに対してこの人を形容するイメージを書きなさいというお題だった。

フラストレーションを感じていたからこそ、嬉しいやんか。そして、アメリカでアメリカ人に混ざって、こういう評価を受ける日が来るとは到底思えんかったなあ。(カナダの血なまぐさい経験があるからなおさら)

今日のミーティングはとってもうまくいった。一回もリードで迷わず、最後までチームを導けたのは初めてかもしれない。(意地でもホワイトボードから離れないという。。。)そして何より、「できた!」という達成感っぽいなにかがチーム内で共有されていたのがとても嬉しかった。同窓会の反省を受けて、人よりずっと準備して臨んだ。そして、チームが「こいつに乗っかっても良さそう」とおそらく思ってくれた瞬間からは、自然にリードできた気がする。にやにや

にやにやしすぎて気を抜かずに、こいつに乗っかろうと信じ続けてもらわなければいけない。それが本当に自分のものになるまで、騙し騙し裏でこそこそしっかり準備しよう。

2015年11月11日水曜日

同窓会

「くやしいんでしょ」

と言われてはっとなった。確かに、そうなのかもしれない。

先日、たまたまサンフランシスコを訪れていた上司とご飯を食べる機会があった。彼自身もMBAを取得していて非常に理解があり、またMBAのための私の推薦書も書いてくれた。(ほんと感謝)


他に留学している同期も呼んで小さな同窓会となった。そんな中、各々MBAで感じていることをあれこれ話していて、いろいろとフラストレーションの話になった。「本当の自分はこうじゃない!ってくやしいでしょ」、と言われて、そうか、そういうことなのか。と思った。今までもやもや感じていたこれはなんなのだろうかと。そしてアメリカ育ちの彼でさえそんなこと感じたんやなあと。

みんなとワイワイ話している時に、あ。。これここで話したら面白いかも。。と一瞬頭をよぎってめんどくさいからやめた。となった瞬間。どうしたらいいんだー!とチームが混乱している時に、こうだよ!と説明したいけどどう考えても余計に場を混乱させている瞬間。これってどういう意味??と周りが議論している時に「あああー違うでーー>< こっちやでーー」と教えてあげたいけどぐっと息を飲む瞬間。自分はもっと気楽で、ユーモアがあって、できる人間なんだ!と叫びたくなってしまうような憤り。。。


決して自分が周りから比べてずば抜けて面白いとか頭がいいとかそういうことじゃない。本来の自分であるはずの部分からの「差分」が恐ろしいくらいの憤りを生んで「くやしい」と思ってしまう。なんだか割引された自分がしょうがなく私の前に立っていてその場をやり過ごしているような感覚。。そして、その憤りからdefensiveになったり、ちょっと言われたことに対して過剰に反応したりしてしまっている気がする。決して相手にそのつもりがなくても。

「実はゆかだけじゃなくて、周りも必死にもがいてるんだよ。皆自分が自分でないみたいな不甲斐なさを感じて、それでも必死に頑張るんだよ」と言われ、そうなのか。と思わず考えた。


アメリカの人がそれくらいもがいてるなら、私はその100倍しゃかりきもがかないといけない。もちろんアカデミックをするためにここにきたわけじゃないけど、このプロセスから学ぶことが多い気がする。本当の自分にどんどん近づくことができたら、もっと自信をもって前を向けるはずで、どこでも本当の自分になれるって、めっちゃすごいことじゃないんか。

2015年11月1日日曜日

Santa Cruz

11月が始まろうとしている。先ほどハロウィンのコスチュームを身にまとった子供達とすれ違った。

新しい学期が始まる前に、1週間の休みがあった。ここぞとばかりにダラダラ過ごしてしまったけど、学校の友人とSanta Cruzというリゾート地に旅行に行ってきた。「友達の友達は友達やろ」というアメリカ的発想に基づき、気がつくと女子9人の大旅行になっていた。

ワイナリーに行ったり、トレックに行ったり、海辺ではしゃいでみたり(そして友人はここでプラダのサングラスを流された)、普通の女子旅行を楽しんだ。夜はベッドにみんなで集まって、夜が更けるまでマフィア(日本では多分人狼と呼ばれているゲームかも)を繰り返し遊んで、お酒をたくさん飲んで、いっぱい話をした。なんだか、初めてこっちにきてちゃんとクラスメートと時間を気にすることなく話をしたなあ、としんみりなってみた。

アメリカにきてやっぱり感じるのはカナダでの経験と同じで、アメリカ人に対して感じるなんとなくの壁だった。それが言語からきているのか、文化的背景からきているのかはよく分からない。とにかく「本当の友達」になりにくいのだ。アメリカ人と普通に話したり笑ったりできるのに、彼らと将来自分の結婚式に呼ぶほどの友達になるのが本当に難しい。対してアジア人だったり、留学生だったりすると、その壁は圧倒的に低かったりする。多分アメリカ人も自分たちの壁の中にいるのがやっぱり落ち着いて、その心地よい壁から出るのがちょっと億劫なのかなと勝手に思ったりもする。留学生からもにたような話しを聞くから、この感覚は私だけではないんだろう。

そんなこともあったから、ここで改めて一緒に時間を過ごして、普通にその時間を楽しめている自分にちょっと安心したりもした。そんなことでにやにやしながら荷造りをしていると、一人のアメリカ人がぽつりと「本当に今回この旅行に来れてよかった」とつぶやいた。「やっと、本当の友達ができたようで安心した。普段学校ではみんな5分立ち止まってお互いに話す程度で、本当の友達を作るのが本当に難しい。こうやってきちんと自分のことを知っている人たちができると安心する」と誰にともなく話した。

うちにとっては「はあーー!」という発言だった。仰天、なんだそうだったんかー!?という感じだった。どう見たってアメリカ人はいつも余裕に見えて、壁の中の集団にきちんと自分の居場所をちゃんと見つけているようにみえた。壁の中で孤独を感じている人もいるんだ、という、新鮮な発見だった。

きっと、壁の中でそうやって感じている人多いんじゃないかな、とふと思った。そもそも壁の中に入ってない人もいるのかも。突然今まで自分が見てきた光景が新鮮に見えた。明日からは、もうちょっと積極的に声をかけてみよう。やっぱりみんな新しい環境の中で、自分の居場所を見つけようと必死なんだ。そこで第一歩声をかけるのが私でもいいような気がした。

2015年10月23日金曜日

自信と自信過剰の境目

早くも来週から新しい学期が始まる。なんか、こういう暴風雨的感じで2年間すぎると思うと若干びびる。

ほっとくと怠けるから、来学期の目標を決めておこう。

・遠慮せずにリーダーシップを取る
議論がカオスになる、ってこういうことか。とある意味初めて体験した気がする。クラスメートはみんな頭がいいし、優秀なんだけど、物事を考えるプロセスがみんな違う。ものすごいフィーリングをぶち込んでくる人もいれば、緻密過ぎるピラミッドを底から 積み建てる人もいる。うちは多分どっちにも振り切れていないから、たまに「そういう風に世界を見れたら面白いやろうな」と思うこともある。うちは毎回「いやそもそもさ」と言ってしまうある意味空気読めない奴だった。でもそれでプロジェクトが前に進むならいいとするか、やっぱり主導権をある程度チームに委ねたほうがいいのか、あんまりbossing aroundな奴やなと思われるんも嫌やし、なんだかなあと悩む。でも、学期終わりのチーム匿名フィードバックで、「いつも議論を進めてくれてありがとう」というコメントをもらった。そうか、こういう価値の出し方は、ありなんやな。とちょっと自信をもらった気がした。来学期は、もうちょっと遠慮せずに、正しいと思うことを試してみよう。

・リスクをとることで存在感を残す
上とかぶっとるやん!と以前の上司に突っ込まれそうやな。はいはい、かぶってますよ。根からのリスク回避型やから、「今回はやめとこ」となってしまうことが多々ある。授業中に「あっっ。。」となった時しかり、課外活動で「Come join us! It’ll be fun!」と言われた時しかり、ビジネスネットワーキングで「連絡先知りたい。。。」と思った時しかり。。あげたらきりがない。特に後半はやや惰性で走っていた記憶がある。これはあかん。あの日本人な!と一番に浮かぶくらいにならないとあかんやろ。

・受け入れられる器をつくる
知らん間に以前の会社のものさし使っとるな、と思うことが多い。頭でわかってても、どうしても。この人はxxできるひとやな、とか、この人はxxな人かも、っていうxxは、会社で慣れ親しんだ言葉であることが多い。それが完全に悪かというとそうではないんやけど、知らない間に人を評価している自分に気がついてぞっとする。ここは賛否両論あるやろうけど、私ははっきりと、そういう人になりたくないと感じる。ここからは完全に感覚ベースやけど、人ってこれ以外にいっぱい側面があるはずで、そこを見る筋肉が圧倒的に弱い気がする。自信と自信過剰の境目が知りたい。その境を行ったり来たりして、悶絶している。そして、こればっかりは「明日からこうしよう!」としてできるものでもないな。ただ、そういう自分に喝を入れることはできるか

意識することで行動が変わるというのは経験から知っている。だからこそ、はっきりと宣言してしまおう。来学期も頑張る

2015年10月20日火曜日

アメリカのコンタクトレンズからみる病院事情

衝撃的な事実に気づく。

「コンタクトレンズが足りひん・・・」

慌ててネットで調べてみると、アメリカではコンタクトレンズはネットでひょいと買えないらしい。眼科医の処方箋が必要だとか。日本だと楽天でひょいと買えたのに。。

仕方なく学校の保険が使える眼科に電話をかけてみると、検査に100ドル程度かかることが判明。しかもそのうち謎の「フィッティング代金」なるものが30~70ドル。なんでこんなに高いねん・・?しかもコンタクトの種類によるって何事?歯医者の時もそうやったけど、アメリカの医療制度なんかおかしい。もしくは日本が安すぎるんか。ぜったいふっかけられてると思って電話先で戦闘モードになってると、保険でコンタクトレンズ代金が120ドル(年間)保証されるらしいと聞き、平常心を取り戻す。コンタクトは完全に医療機器という考え方なんやな。きっと。また、予約も来週までいっぱいとのこと。日本やったらふらっと立ち寄ればすぐ診てもらえたのに。。。しばらくメガネ生活を強いられることになりそう。

アメリカでお金がない人は、本当に病気になったら大変やろうなあと思った。歯が欠けたり、コンタクトが必要だったりという些細なことでさえこんなに時間とお金がかかるのに、ましてや大変な病気にかかったり怪我をしたらどうするんやろう。

バークレーで良く見るホームレスのうち、病気になったりして破産した人も多いんだと聞いた。低所得で働いていてあまり蓄えのない人が、病気になったり怪我をしたりして入院したり治療を受けると、一気に破産してしまうらしい。特にベイエリアは家賃が高いから、家賃が払えなくて路上生活になってしまうんだと。

オバマさんが頑張ってみんな保険に入るように勧めているらしいけど、そんなことで根本的に解決する問題なんやろうか。



2015年10月16日金曜日

期末試験

あっという間に始まりました期末試験。

特に一年生の前期はさらに2パートに分かれていて、1教科7週間という短さ。あっという間に期末までたどり着いてしまった。前期はこうやって、ビジネスの基礎に関してぐわっと勉強する。しかも、そこに中間テストとグループプロジェクトまで入れるんだから、変態的に忙しかった。でもその内容の濃さってすごかった。

例えば、仮にも経済学部出身やけど、経済に関して何にも知らんかったな、と感じた。特にここで履修したミクロ経済は私の物の見方を変えてくれた。その中でも「sunk cost should not affect your decision making」って、簡単やけどすごい概念やと思う。多くの場合、今まで投資したお金や時間が多いほど、それをやり遂げたいと思うし、やめるともったいないと思ってしまう。だけど、本来払ってしまった物は意思決定に影響すべきではなく、むしろ正しい価値はその時点における期待値計算によって導かれるべき、という私にとっては破壊的概念だった。(例えば、ある国が他の国と戦争する時に、すでに何人の兵士を犠牲にしたかに基づいて「引くに引けない」意思決定するのではなく、今生き残っている兵士と相手の兵士をまっとうに比較して、継続か否かの意思決定をすべき。死亡した兵士は残念ながらsunk costなので、意思決定には一ミリも影響してはいけない)どれだけ多くの企業が「引くに引けない」意思決定をしているんだろう。それに対して、私はどれほど胸を張って「それ間違ってるで」って言えるんかなあ。。

他にも、京都大学で死ぬほど勉強した統計学は、実際それをビジネスでどのように使うのかは教えてくれなかった。ここでたった7週間しか勉強しなかった統計学は、すでに「統計的観点から何が重要なのか(what is the critical question?)」「データに基づいて、どこまで確実に(自信を持って)ポジションをとるべきか」といった、実際の運用を叩き込んでくれた。いままでどれだけふわふわした議論をしてきたのかと、ちょっと恥ずかしくなるくらいに。

特にこのミクロと統計の先生は素晴らしかった。授業の質という意味ではさすが、という感じで結構満足していたけど、また先生の評価システムが結構厳しいのも、そういった質を担保するシステムなんやろうな。

2015年10月7日水曜日

なんで?とかしれっと聞かないこと

ちょっとめげた。

こちらの勉強はスタディチームというグループに基づいて行われることが多い。チームメイトはアメリカ人3人、チリ人と私。とってもいいチームなんだけど、今まで会社で慣れた仕事のやり方と違うグループワークにイライラしてしまうこともしばしば。。

特に言語やそれに対する自信が足かせとなって、リーダーシップを取れないことが以前仕事でもフラストレーションになっていた。この機会になんとかせなあかん、と試行錯誤を繰り返す日々。アジェンダを設定したり、議論のファシリテーションをしたり、仕事で学んだことがとっても役に立っていると感じる一方で、苦い挫折を味わうことも多い。

特に今日のミーティングは自分の中でも反省が多かった。正直、議論が右左に行くのをボードで整理しながら、英語の議論についていくのが結構しんどかった。特に全員が方向性が見えないまま議論しているから、右左は右左でも結構大きく振れる。最終的に形にはなったけど、色々とラーニングに残しておきたいことが多かった。例えば

・ホワイトボードにはいつも空欄を残しておく
特に難しい抽象的な議論になった際に、ちょっと図表を書くことが助けになることが多い。そんなことができる遊びスペースを、議論の整理とは別に残しておくべき。議論がヒートアップするからこそ視覚的に整理して全員の合意を確認することが必要で、それをリードできるようにならないといけない

・不安を安易に見せない。authenticityとcredibilityのバランス
自分の悪い癖で、コンセプトが理解できなかったり、100%議論が理解できてないかもと思うと、途端に長い文章を落ち着いて話せなくなる癖がある。そしておそらく落ち着いて話せていない時はあんまり聞いてもらえてない。「空間を借りる=自分のエアタイムが回ってきたらそれを躊躇なく存分に活用する」ことを意識しないといけないな。チームの前で自分の不安をさらけ出すことも時には必要だけど、それは自分でコントロールできないといけない

・相手を威嚇しない。自分だったらどう聴いてほしいか
相手に意見をエラボレートしてほしい時に、「why?なんで?」と単発で聞くことが多い。コンサルでは議論の効率にも重きが置かれてて結構ありだったんだけど、多分一般的にはなしなんだろうな、と今日感じた。why do you think so? とか、can you elaborate?とか、相手が話しやすくなるような問いかけを意識しないといけない。問いかけの際の雰囲気作りも大事なんだろうな、と思った。(特にぐっと黙ってしまったチームメイトを見てちょっと申し訳なく思った。。)

なにはともあれ、めげるな、私。毎回新しい気持ちではじめるのだ。





2015年9月25日金曜日

病気になること、生活が変わること

歯が欠けました。

前歯の裏側で、全然気がつかなかったけど、ちりちりする違和感を感じて恐る恐る鏡で裏側を見てみると・・・ 

虫歯の治療等々はアメリカに来る前結構やったので、まさか歯が欠けるとはショック。。漫画みたいにがーんってなった。なんでかって、海外で治療を受けるのは結構不安。技術もわかんないし、知り合いの先生もいないし、どれくらいお金がかかるのかもわかんない。周りの人に慰められながら、来週なんとかサンフランシスコ市内の日系医師に予約を入れました。


病気っていうほどではないんやけど、なんだか気分が落ち込んでしまった。何するにしても歯の裏側が気になる(!)という弱い心の持ち主であることを再認識した上で、健康の大切さを改めて感じていたそんな時、北斗晶さんが乳癌になったとのニュースを見た。特に北斗晶のファンではないんだけど、彼女のブログを見て若干衝撃を受けた。

そこに書かれていたのは、なんでもない日常が一気に変わってしまうという恐怖。昨日まで普通だと思っていた「いつかしたいね」が、とんでもなく難しい夢なってしまうという事実。そんなことって本当にあるんだ、と呆然としてしまった。それってどういう感じなんだろう。歯が欠けたくらいでうじうじしている私には全く想像できない感覚だった。

毎日が普通に過ぎていると、いろんなことが当たり前に思えてしまうんだけど、それらが奇跡の上に成り立っていることも多い。忘れがちだからこそ忘れないようにしないといけない

2015年9月15日火曜日

うかうかが服を着る

今日なんとなく授業を受けていてふっと思った。

これってすごくない?

なんでもない授業で、もはや若干頬杖をついて受けていた。ぐるっと回りを見回してもう一度、

これってすごいやん!

一年前この瞬間、正直一寸先も見えなかった。まだTOEFLのスコアさえ出ていない状況で、やっと受験を考える学校を絞ったくらいだった。海外の学校に行く、なんてことが、あまりリアルに想像できなかったし、仕事をしていない自分は一切想像できなかった。まさか一年経っただけで、当たり前みたいに教室の机に座っているなんて。タイムトリップした感じがした。

毎日が超高速で過ぎて行くだけに、気がつくと時間が手の隙間から通り過ぎて行ってしまいそう。気が付いたらきっとまた違う場所にいるのかもしれんな、と本気で思った。ちょっとサボり気味の日記もしっかりつけなあかんな。うかうかが服を着て歩いているような性格なんだから


2015年9月4日金曜日

気がつけば1ヶ月過ぎてた

時が過ぎるのは早いとはまさにこのことで。気がつけば授業が始まり、アメリカに来てから一ヶ月が過ぎていた。素直に感想を述べると手放しで楽しい。毎日違うことを学んでいるし、自分に対して割く時間は圧倒的に増えた。私の留学が普通と少し違う部分をいうと、やはりカナダと比較することだろうか。どちらも純じゃぱとしての留学で、圧倒的な差を感じている。こういった感覚は時間が経つと薄れてしまうものだから、早めに書き留めておくことに決めた


*人の忍耐性の違い
とにかく、少なくともうわべだけは確実に温かい。町の人も、学校の人も、私の発言に対して非常に真摯に向き合ってくれる。カナダではほぼ感じたことがなかった感覚。。もはや自分以外は全部敵とまで思うに至ったほど、カナダでは非常に排他的な気分を味わった。おそらくカナダのモントリオールという、非常に特殊な環境でフランス語が話せないという、まさに一面敵だらけの場所と、様々な国からの移民を受け入れ、人種のサラダボールとまで言われた場所との差だろうか

*スタート地点の違い
以前カナダでは突然やってきた留学生だった。すでに数年かけて確立された人間関係に自分の場所を見つけるのは大きな苦労を伴うものだった。しかし、今は違う。皆が同じスタートラインに立って、自分の居場所を見つけようとしている、そういった意味で、疎外感を感じにくい環境が整っているのかもしれない

*プレゼンスの違い
こればかりは会社に感謝しなければいけないかもしれない。以前のカナダ留学の際は「よく分からない日本人」だった。そこに対する差別も手伝って、私の言うことに興味を持つ人は非常に少なかった。その中で価値を少しずつ作っていって、なんとか自分の立ち位置を確立するという、流血に近いプロセスが必要だった。一方今は、こちらで名の通った企業で経験を積んでいて、「期待値」が上がっている分、非常にスムーズに会話を始めることができる。加えて、いつの間にか伸びていた英語が手伝って、自身をもって前を向いて自分の立ち位置を示せるようになっていた。

とはいうものの、カナダで人生初の大きな背伸びをしたことが、毎日生きているとひしひし感じる。グループワークにしても、発言を求められても、そのエネルギーになっているのはカナダでの辛い経験から得たものだと思っている。カナダでは、まずグループに入れてもらえなかったっけな。。。とか、課題がむちゃぶりで辛すぎてトイレで泣いたっけ。。。とか。でもそれを流血しながら乗り越えて、最後は胸を張って帰ってきた経験があるからこそ、今以前に増して前を向いている

あとは、ここからもう一度大きなジャンプをしなければいけない。環境が整っているからこそ、背伸びしやすい環境にあるはずなんだから

2015年8月14日金曜日

Communication class 偶然を見つける努力と勇気

まだ本格的な授業はスタートしていないけど、Pre-workshopならぬ準備コースがあった。Communication と Quantsがあったけど、どちらも別途授業料が必要とのことだったのでCommunicationしか取らんかった(あと、休み使って数学などしたくない、という自分にとっては最もな理由がある)

うまいことクラスの人とお友達になれたらいいよね、くらいの気持ちで行ったけど、実際の授業の内容も結構面白かった。色んなice breaking的なアクティビティをして、お互いを知る、ということの方法やエッセンスを勉強したけど、印象的だった幾つかの学びがある。

・相手との「偶然一緒」は案外ゴロゴロしているということ
「これから3分の会話の中で、隣の人とsomething commonを少なくとも3つ見つけなさい」という無茶振り。と思ったけど正直内容はなんでもよくて、弟がいる、とか、コンサル出身、とか。何が面白いかというと、大陸の反対側から来たような相手でも、共通することはいくらでもあって、時にはびっくりすることが一緒だったりすること(うっかり高校時代近所に住んでいた、という人もいた)

・偶然の持つ威力を知ること
これが面白いもので、どんなしょうもないものでも「偶然」を見つけるとそこから会話に花が咲く。教授が面白い実験を紹介した。

どこかのメンバーシップ登録デスクで行われた実験で、ランダムにやってくる登録希望者(実験の実施を知らない一般人)が登録を終えたあとに、デスク担当者(実験実施者)が雑用をお願いすると、どれくらいの登録希望者が協力してくれるか試したもの。
何もしない状態で雑用をお願いすると、30%くらいの人しか雑用を手伝ってくれないらしい

ところが一方、登録希望者が記入フォームに誕生日を記入している際に、デスク担当者が、「え、誕生日xx月xx日なんですか!?一緒ですよ!偶然ですね!」といって雑談に花が咲くと、なんと60%の人が雑用に手を貸してくれるらしい。さらに、指紋を登録の過程で採取して、「なんだって!これタイプAの指紋じゃないですか!僕と一緒だ!人口の5%しかいないんですよ!(大嘘)」なんて言った場合には、80%くらいの人が雑用に手を貸してくれるとか笑

偶然にはパワーがある。そしてそれが見つかった時、人は普段よりちょっとあなたに協力的になる、という非常に面白い結果だ。そして、その偶然はあなたが会話を始めなければ見つからない。だからこそ、雑談するという努力、だからこそ勇気。

クラスが実際に始まる前に参加するには、非常におもしろい経験だった



2015年8月3日月曜日

快晴。

なんたって天気が良いったら。

なんとかサンフランシスコについて早一週間が過ぎようとしているが、まー天気がいいったらないです。地中海気候と呼ばれる地帯に入るらしく、天候に恵まれていることは知っていたけども、この真夏シーズンにもう秋みたいな爽やかな風が毎日吹いており、空は抜けるような快晴。こんなとこにいたら思わず寿命が延びるんではないかという、(そして思わず州別平均寿命なるものを調べる始末)まさにそれほどの良い天気。雨は滅多に降りません。うっかり外のベンチに腰掛けるとずっと座っていられます。


家には備え付けのクーラーがない家も多いらしく、冬少しだけ寒くなるらしいので、ヒータのみ完備のようです。暑がりの私には楽園のような気候。

今週からぼちぼちと授業準備なるセミナーが始まるので、やっとニート生活から脱出できそう。携帯も家の家具も銀行口座も揃ってきたし、今週中にはここ住民になることを目指そう。

下は、シアトルからきたシンガポール人の友人と。すげー青空!( ´ ▽ ` )ノ

2015年7月23日木曜日

出発直前にプチ同窓会はしご

なめてた。出発前にすることめっちゃあった。一番困ったのは、送金と引越し。。今の鬼円高が追い打ちをかけ、ちきってる内にどんどん円安が進む始末。。ギリシャの転覆を願ってやまない時期を過ぎ、現地に銀行をつくってから、会社にお金もらって、送金するのにめっちゃめちゃめんどくさかった。

とは言いつつも大方準備は終わって、あとは残った荷物をちょいちょいと売りさばくだけになった。来週に渡米だから、当然といえば当然だけども。なにより、出発前に会いたい!と言ってくれる人が本当にたくさんいて、本当に嬉しかった。10年ぶりに再会を果たした高校の同級生まで。

絶対遊びにきてや!と念を押しておいたが、さて何人程度が本当に遊びに来てくれるのか。。。






2015年7月6日月曜日

MBA準備において・・今思うとオールで太平洋を渡ろうとしていた

今月からMBAへの留学が始まるわけやけども、準備から考えて無謀な挑戦やった。留学先は毎年世界トップ10MBAにもランクされる素晴らしい学校で、カリフォルニアというワインと天候に恵まれた土地はいうまでもなく、底抜けに自由な校風、シリコンバレーへのアクセス等々この上ない環境・・ということも、正直受験後半で知った。正直受験動機は、一度訪れた際に、キャンパスの空気が京都大学(母校)ととても似ていて、ああ、ここならもう一度学生になれる気がする、という「感」だった。

そもそも準備が遅かった。受験生の多くが数年をかけて入念に準備する中、仕事を言い訳にだらだらと準備を遅らせ、実質GMAT初受験もエッセイ開始も8月という・・エッセイカウンセラーに関してはもう有名な方はだれも残っておらず、半泣で走り回る日々・・・。

しかし、10月の出願に間に合った。そして、結果として結果オーライだった。なぜか。

決して(そう決して)私のできが良かったとかそういうことではない。また、この合格が全て運だったとは(多少あったとしても)思わない。理由として、

1)MBA受験は短期集中に向いた受験であること
MBAの大きなウェートをしめるGMAT。こちら、結構「ありえへん」英語試験である。日常的には普通に使っている英語も「あいまいだからだめ」とかいう、私的には結構ありえへん理由で却下される。しかし一方で、丸暗記がある適度効果を発揮する試験でもあり、このルールを覚えるという理不尽を乗り切ることで高得点が可能だった。理不尽であるがゆえに、短期集中で理不尽を受け入れるくらいのつもりでやらないと、納得しない英語は頭に長く残らない

2)そして何より、先輩方を初め多くの方々の助けを得れたこと
人の助けがあったから。本当に、本当に助けてもらったから。テストに関しての「ノウハウ」はいやというほど教えてくれた。また、私のエッセイは4-5人の人に毎回たたいてもらっていた。卒業生の先輩からは、ひたすらに「なぜそう思うの?」を何度も非情につっこんでいただいて、その度に「ぐうっっ。。」となった。そしてその度に理解が深くなっていった。エッセイを抜きにしても、重要な体験だったと思う。そして、その度英語を直してくれて、どのように伝えるのが効果的か、真剣に考えてくれるネイティブスピーカがいてくれた。

もちろん、履歴書が助けてくれたところも大いにあったと思う。それに関しては普段感じない恩義を会社に感じてもいる・・。が、それだけで乗り切れたとは到底思わない。助けを求めることの重要さとそのありがたさをこんなに感じた2ヶ月はなかったように思う。そうやって、このオールとボートで太平洋を渡る無茶受験を乗り越えた。

いつか誰かがまたオールで太平洋を渡ろうとして、私に助けを求めてきたら、笑って助けてあげなあかんな。




はじめまして

こんにちは、初めまして。たもです。とある外資系コンサルティング会社に3年勤めた後、今月からUCバークレーにMBA留学する運びとなりました。

生まれついた怠け癖から、きっちりと記録でもとっとかないとだらだらと2年過ごしてしまいそうで、戒めをこめたブログ開設です。以前カナダ留学した際にもこの方法が有効であったことに味をしめております。

という内向き志向のブログになりますので、日々気がついたことを徒然なるままに書きます。お時間があるときにでも暇つぶし程度にご覧下さい。