2017年5月31日水曜日

高校生の進路

多分高校の2年生くらいの時に、すごくすごく辛い時期があった。学校は大学受験に向けて理系文系に別れ始めて、志望大学を狭めて行く時期だった。勉強は得意な方だったし、先生は「頑張ればどこでもいけるよ」と言ってくれたように記憶しているので(嘘やったらごめん先生)、すごく勉強に困ったというわけではなかった。でも何になりたいのか、一切分からなかった。そして、その困惑の理不尽な矛先として両親にすごく当たったのを覚えている。

何を基準にして選べばいいかも分からなかった。当時「資格が大事だ」と言われていたので、資格一覧みたいな分厚い本を買ってきて、その数千ある資格それぞれに自分の将来をイメージして見たけど、だめだった。(唯一、通関士という資格が面白そうと一瞬思ったが、本当に一瞬だった)今まで勉強しかできなくて、勉強しかしなくて良かったから、急に「自由に選んで」と言われたら頭がおかしくなりそうだった。進路がはっきりしている人が不思議で仕方なかった。

結局消去法で経済学部を選んだけど、今思い返せばとても健全で、かつかわいそうな悩みだったな、と思う。日本の教育の悪いところで、テストで良い点を取る方法を教えてくれても、将来何になりたいのか、という議論に付き合ってくれる大人はいない。勉強以外しないから、視野が広がるなんてこともない。

アメリカで高校生に対する進路相談のボランティアをしてみたけど、みんないろんなところでボランティアをしたり、インターンシップをしたり、あれこれと将来を試行錯誤している感じがすごく良いなあと思った。日本でも、そういう機会があってきっといい。帰国したらいろいろやろうと思っていることあるけど、その中で日本の教育は軸として一つあるんだろうなと思う。


2017年5月29日月曜日

風邪からみるアメリカの病院事情

風邪がなかなか治らないあたり、自分も年だなあと思う。かれこれ1週間くらい家に閉じこもっていて、過去ならば1日ぐっすり寝たら治っていたことを思うと、自分の老化を感じずにはいられない。


ただ、風邪を引いたことで非常に興味深い経験もした。アメリカの病院と薬局にかかったのである。アメリカの病院など使うか!!ヤブ医者め。などと思っていて、意地でも病院に行かない方針を取っていたんやけど、さすがに咳で寝れない日が5日ほど続いて、このままだと治るものも治らないと思ったので、しぶしぶ行くことにした。声が完全に潰れてしまったので、夫に電話で予約を取ってもらい、オークランドにあるクリニックに来院した。

1)事前の記入事項がやったら長い
日本だと、初診の場合、名前と住所、アレルギーや持病の有無、あと今回の来院の予定なんかを書くぐらいだろうか。こちらは、なんと5枚程度の紙にびっっっしりと記入事項があった。喫煙の有無や飲酒の量、運動の量、なんならセックスの頻度まで。。。風邪でなぜここまで書かなければならんのだ。ぺっと薬を出してもらって、家に帰って寝たい。と若干途中からイライラしてきた。かつ、「薬は自分の責任で飲みます」的な書類に何枚もサインをさせられた。さすが医療訴訟の多い国、アメリカ。


2)診療中の非効率
適当に上の紙を書いて受付に返すと、10分ほどで名前を呼ばれて、個室に通された。待っている間に、看護師さんが血圧や体温、体重と身長を測りに来た。その後、お医者さんが来たんだけど、なんとまた血圧測っているではないか。。。一瞬「え」となったが、なされるがままに測られる。異常ないですね、ってそうでしょう。さっきも看護師さんに同じこと言われましたよ。


3)麻薬入り?
夫の気遣いで、お医者さんは日本人の方だった。割と流暢な日本語を話されるので、日本の生活が長い方なのかなと思った。が、最後に、「この咳止め、麻薬入っているので」と言われ「は!?」となったが、劇薬の間違いでした。医療用語の日本語は結構拙い方のようで、きっとアメリカの生活が長いんだろうな

にしても、いつも無愛想なWalgreenのおばちゃんが、咳止めを受け取る時に盛大に咳をしている私をみて「早く良くなるように祈ってあげるからね〜」と言ってくれて、ちょっとほっこりした。



2017年5月24日水曜日

技術の前進による人口爆発

バカは風邪をひかない・・・という仮説の裏を体を持って体現したかったのか、卒業式後三日ほどほぼ昨日不能になる程の風邪に見舞われた。固形物はほぼ喉を通らず、離乳食みたいな食事を続け、かつ家に閉じこもる日々。

卒業に関しては後ほど書くとして、引きこもっている最中に惨めなほど時間だけあったのと、熱にうなされていたために普段とは違うところに思考が流れていくのが面白かったので、記録しておこうと思った

ずばり、人口増加の話である(どーん)

特にこの話に詳しいわけではなくて、考え出したらまあ人間は滅びるよね、とふいに思った。ことの始まりはSt. Gallenのシンポジウムで、技術の前進により、ロボットが人間を置き換える、という話が盛んに話されていた。じゃあ、置き換えられた人間はどこにいくんだろう。。短期的には失職ということなんだけど、もうちょっとマクロかつ長期的に物事を見ると、ちょっとずつ人が足りないところに人が流れていくはずなんだな、と思う。それは介護とか、ヘルスケアとか、時代によってそれも少しずつ変わっていくかもしれないんだけど。

ただ、さらにこれをマクロにかつ長期的に見ると、技術の前進に伴ってそういった分野でさえどんどんロボットが置き換えていくに違いない。じゃあさらに行く場所を失った人間は、何をするんだろう。何かのパロディーで読んだ、「朝起きたら人間はランニングマシンで電気を起こす」ことくらいしかやることがなくなる日が来るんだろうか。


個人的に思うのは、人間は「前進」を非常に重んじる動物なので、おそらく地球上の解けていない課題にこういった余分なリソースが集まっていくのかもしれない。例えば、まだ治せていない病気、アフリカの貧困。。でも例えば人口の1/3の死因である癌が治るようになったら、人口爆発するんじゃないんだろうか。加速度的にこういう課題が解けていくにつれて、人口が増えに増えて、結局火星移住とか言い出す暇がないうちに、人間は飢えて殺し合って死ぬんじゃないかな、と思ったところで思考が止まった。

そう思った時に「前進」って何だろうと考える。人間の歴史は前進の歴史なのか。完璧な状態って一体なんだろう。人間が誰一人として飢えることなく、受け入れられて、安心して過ごせる状態が完璧な状態だろうか。でもそれってとても人間本位な完璧だなあと思う。例えば生物の多様性だったら、数百年前のほうがよっぽど豊かだったはずなんだ。例えばゲイマリッジを前進ととる人もいれば、後退ととる人もいる。何が完璧なのかは、それを定義する人によるとすれば、我々はそもそも何を目指して前進を追求するんだろう

2017年5月8日月曜日

追記:感謝するということ


前述のシンポジウムにて、Disruptionというテーマで多くのことが語られる中で、やっぱりよく話題に上がるのは、イギリスのEU離脱やトランプの大統領選挙だった。「当たり前だと思っていたことを当たり前と思わないこと」、世界は常に平和でも、前進しているわけでもない。

自分の日本のパスポートを使ってスイスのイミグレーションを通り過ぎる時に、多分これも当たり前じゃないんだろうなあと思った。安全で裕福な国に生まれて、お腹を空かせずに健康に育って、教育に理解のある両親の元、自分が面白いと思ったことは気がすむまで探求できる機会を与えてもらってた。ついつい目の前のことばかりに夢中になったりイライラしたるすることがあるけど、きっと大切なことだから、忘れないようにしよう。

St. Gallen Symposiumを終えて

今回のSt Gallen Symposiumは学部生のころからずっと来たいと思っていたし、遂に夢叶ったという感じだった。最終的に1000通以上のエッセイ応募があったらしいので、トップ10%以内に入るエッセイを書いたのは、とりあえず褒めてもバチは当たらないんじゃないやろうか。それくらい、社会に物申したいことが増えたということなんやろうけど。議論の質が毎回素晴らしかったし、そもそも自分では一生会えないようなすごいスピーカーに毎回圧倒された。いわゆる「誰でも知っている」会社のCEOがずらずらと名を連ね、国家の省長や著名な教授などなど、最後の方は若干感覚が麻痺してしまった。一緒に食事をした日本の方となんとなく名刺交換したら、後ほど彼がノーベル賞受賞者だったと気づく始末だ。


多くの議論の中で、一つ印象に残っているのは若い世代(我々)と、こう言った世界のリーダーとの議論を、非常に重視してくれていたということだ。特に我々世代から上がる質問で「痺れた」瞬間が幾つかあった。


例えば、難民に対するより深い理解やEmpathyを高めるため、バーチャルリアリティの活用を提案する院生に対して、「コストがかかりすぎるから実行不可能だ」とジャッジが述べた際「でもそれって、パソコンが世界に現れた時に皆が言ったことですよね」とすらっと述べた時、会場が爆笑と拍手に包まれた。Brexitの議論において、EUの文化自体が戦後と比べて個人主義・Nationalismへとシフトしているのか、という疑問が教授達の議論で持ち上がった時に、ドイツの学生が「我々若い世代は、EUが各国と共にもたらす未来を信じているし、それは数値にも証明されている」と力強く述べて見せた。Nationalismへ固執は、世代格差だとも。私自身も、日本の参議院議員に日本の男女格差における教育の不足を直接訴える機会をもらった。そもそも議論されていることの根底に疑問を投げかけ、それを現代のリーダーが受け止め、挑戦し、時に賞賛するこの不思議な空間は、予想をはるかに上回る素晴らしい経験だった。

自分の世代が背負う責任を、新しく認識する瞬間だった。特に世界が大きく動く一年だったから、世代交代が起こった時に前進できる世代でありたい。どこに前進を起こすかはそれぞれなんだけど、少しずつ自分にとってそれが何なのかも前よりは分かり始めたかもしれない