2017年1月26日木曜日

大学受験の夢

ベイエリアにもやっと刺すような寒さが到来し、「冬か」と思うようになった。道端にまだコスモスが咲いているのは無視するとして、やっぱり朝のこの刺す感じは日本と変わらないなあと思う。

急に寒くなったのが影響したのか、1年に1回は必ずみる大学受験の夢を見た。それは決まって、「間に合わない」という激しい焦りで、例えばテストの結果が返ってきて、どう考えても受験までに仕上がらない、とか、出なければ行けなかった塾の授業を丸々忘れていた、とか、毎回パターンが違う上にそのバリエーションに自分でも感心するのだが、最後は絶望的な気持ちと焦燥感に襲われる。

あの特殊な時期はつくづく自分の人生に影響していたんだな、と思う。「終わってみればいい思い出だよ!浪人したって人生長い目でみれば関係ないよ!」と言う既に大学に通う先輩に、内心「ふざけんな。現役で受からんとあかんねん」と思っていたことはさておき、あれほど必死に一つの目標に向かって努力することはもうないんだろうと思う。大人になると、結果よりも過程、道は一つじゃない、みたいな、人生を楽にする考え方を受け入れていくんだけど、大学受験当時はどう考えても結果は白か黒だった。しかも「努力しないと絶対に報われないけど、努力が必ず報われるわけではない」という非常に理不尽な白か黒である。


でも、刺すような冬が来て思い出すのは10年前とは思えないとても鮮やかな光景で、匂いや音まで思い出すことができる。朝暗いうちから家を出て、誰もいない教室に電気をつける音とか、静かな廊下に響くスリッパの音とか、思ったより滑りのいい教室の扉なんかがちょっと懐かしい。ついに試験の後大学の教室を後にするとき、数百人詰め込まれた大きな教室を見回して「皆同じくらい頑張ったのに、この中の2/3は受からないんだ・・・」と知っていたはずの絶望的な事実にちょっと涙ぐんだのも覚えている

日本の教育はやっぱりちょっと間違っていると思うし、受験の内容はそもそも変わっていくべきだと思っているけど、なんとも言えないあの時期の経験はやっぱり終わってみればいい思い出だったんじゃないか、と今更思っている。でも目覚めが悪いので、焦る夢はいい加減見ないようにしてほしい

2017年1月16日月曜日

交渉における心構え

Nogotiation授業中の自分があまりにも不甲斐なくて、Getting to Yesという交渉術の本を買った。一応授業で指定されていた書籍だったんだけど、授業で使わない本はあまり買わない。が、今回は藁にもすがる思いで買った。

ビジネス本って相当つまらないものが多い上に、異常に高くて、かつ英語でそれを読むってかなり苦痛なんだけど、実はこの本結構良かった。さらさらと読めるビジネス本って結構珍しい。


同じ授業を来学期とる友人にこの本をあげることにしたので、忘れないうちに「ええな」と思った内容を書き残しておくことにした。かなり徒然なるままに書いてみたけど、多分このまま味噌漬けにして1年後くらいに見返したら、違う味がする気がしている


  • ポジション(例:売価xxx円)に固執するのではなく、そもそも自分・相手が何が達成したいのかに注目する(例:今期のKPIを達成し、上司からの評価をあげること)
  • できるだけ、感覚ではなく客観的な指標を使うよう議論を誘導する(例:市場価格)
  • 「最低金額」に固執しない(例:最低xxx円で売りたい)。ここまでだったら大丈夫というラインは、得てして無謀なラインになりがち(特に内輪で決定された最低ラインの場合)で、本来成功するはずの交渉が決裂する場合がある。かつ、そこに固執するあまり交渉中に学んだ相手に関する情報が無駄になりがち
  • 最低金額、よりも、何が「自分にとっての他の選択肢」なのかを明確にして交渉に臨む
  • 相手の答えやすい形にして交渉に臨む(例:Yes Noで答えられる条件にしてみる。ただし、相手の不安や希望をきちんと理解し、条件にきちんと盛り込まれていることが前提)
  • ジョイントドラフトの威力。契約ドラフト作成中はコミットメントを強要せず、双方の意見を盛り込んだ契約書に、批判を受け入れ、改善することを目的とする
  • 事実の訂正に対して寛容な姿勢であること(例:市場価格xxx円と聞いているのですが、もし違ったら訂正いただけますでしょうか)
  • 汚い手を使われたら、その方法自体を指摘するのもやり方。ただし、こちらはあくまでも客観的な指標に基づいた交渉を続けること。やり返すことに対するリスクを理解する
  • 交渉とは別のところできちんと関係作りをする
  • 関係構築のために妥協しない。ただし、関係が既に構築されていて、相手が明確に「こちらが妥協した」ことが相手に明確である「関係維持」のためには、時に妥協することが今後の交渉力になることがある
  • すぐに交渉を完成しようとしない。一つの条件で合意が取れなければ、他の条件を交渉する。最後までコミットさせないこと自体が、相手を安心させることがあり、柔軟な交渉が可能になることも
  • ゴールを達成することにこだわりを持つのはいいが、達成の仕方に対しては柔軟であれ




2017年1月14日土曜日

禅寺卒業?

興味のあることが増えたと思うのは、多分いろんなことに興味がある人々に触れたせい。

こっちの人は、学生や社会人問わず、「趣味」が多い人が多い。ベイエリアということもあるかもしれないんやけど、なんだかんだみんな色んなことに興味があって、日本でよくある「ほぼ無趣味」が多分理解できない。それこそ、ミュージカルだったり、クラシック、楽器、スポーツ、等々。。。娯楽ってこんなにあったのか、というくらい、みんな凄まじい種類の趣味を持っていて、いつも感心してしまう。だから、「趣味は?」と聞かれると、ぐっと詰まることも多い。私の趣味ってなんだろう。趣味以外にも、娯楽を超えた枠で「興味」が広い人が多い。子供の教育だったり、ホームレス問題、外交、等々。。。みんな、すごいなーと思う一方で、私の興味ってなんだろうとまた考える。

多分趣味も興味もわりと無関心で生きてきたんだろうなあと思いつく。学生時代は基本的にやれと言われることが多いから、それ以外に使う時間は(幸か不幸か)あんまりない。したがって、特に強い理由がない限り、急に興味が発現することはない。
聞かれるととってつけたように「xxxに興味があって・・」みたいな話はするんだけど、じゃあそれにすごく精神的に投資しているかというとそうじゃないから、多分違うんだろう。社会人になってからも、猛烈に忙しくて、興味と言えるほどのものもなく、というか、興味ってそもそも何なのか、が分からなかったし、かつそういったものにダラダラと時間を費やすことがちょっと無駄に思えた。その先にはっきりとしたゴールがない限りは(そして多くの場合はっきりとしたゴールなど興味程度のものにはない)

でも最近、そこまで難しく考える必要ないのかもしれないと思い始める。例えば、ワインはこっちに来てから好きになった。もっと、違いとか美味しさとかがわかったら楽しいなあと思う。脱北者の人の手記を読んでから、北朝鮮の事情をもっと知りたくなった。本を何冊か買ってみようかなあと思う。やっぱり、日本の教育ってダメだよなあ。日本の教育の枠の外で、グローバルリーダーシップを教えている人がいるから、話を聞いてみようと思う。多分それぞれが将来どうなるとか自分のキャリアにとってどうとか、今あんまりないんだけど、面白いなあと思うことに、もうちょっと素直になっていいんやで、と周りに言われている気がする。


多分、「面白いかも」という声は自分の中にずっとあったんやけど、周りの爆音にかき消されてきたんじゃないだろうか、と思った。そして、仕事に戻って忙しくなると、また爆音が聞こえてくるはずだから、そういった興味に敏感になることに、もう少し意識を注いてみようかと思う。それが仕事とかキャリアとかに今繋がるわけではないんだけど、将来長い目で見たときにどうなるかわからないし、たとえ繋がらなかったとしても、人間としての厚みができたら、それでいいんじゃないだろうか。必要なもの以外削ぎ落とそう、という考え方は、昔から哲学的に信じていたことやけど、もういい大人になって、いつまでも禅寺みたいな生活しなくてもいいかもなと思ってみたり

2017年1月11日水曜日

雨の日を生産的に過ごすには

ベイエリアに関して人は抜けるようなカリフォルニアの青空を想像するかもしれない。

・・に反して連日の大荒れ天気である。今日に至っては、横殴りの雨が降り続き、コーヒーチャットで朝外に出た以外は基本的に家に退去している。

今日は生産性の低い日だった。。。と思うと夜凹むので、基本的に家に閉じこもる日はそうそうない。なんだかんだといそいそ用事を作っては外に出るようにしている(たとえそれが映画とか割とどうでも良い用事でも)。が、そんな気さえくじけそうな大雨である。ので、言い訳に書かなければいけなかったエッセイをちょこっと書いて、英語の勉強と称してNetflixを見て(完全に言い訳)、読みだめていた本を読んで、鬱々と過ごしている。。
そうはいうものの、そんな日もなんとか実りのある日にする悪あがきに邁進している。

例えば昨日大雨の中なんとかたどり着いたジムでは、84歳のおじいさんが私の横のランニングマシーンで1.2 mile / h で歩きながら話しかけてくれた。ちょっと(かなり)私の中国語がなまってて聞き取れなかったけど、移民で大昔にアメリカに来たんだとか。夫婦で仲良くジムに来るなんて、なんだか微笑ましいなあ。「私も君みたいに若くて早く走れたらいいなあ」とか言われたけど、わたしは84歳になってもジムに来て運動する自信ないから、すごいよおじいちゃん。いや、84歳になってもジムで歩けるくらいに今から頑張ります。

後、外にでれないのをいいことに(!)ふと思い出した昔の塾の恩師に連絡を取りたくなって、インターネットの波に埋もれてみる。同年代の人なら、こんなに見つけるのが簡単な世の中になったのに、昔の恩師を見つけるのは、本当に難しかった。というか見つからなかった。唯一わかったのは、10年前くらいまでは塾で教鞭をとっておられたこと。今は60歳を回られているだろうか。定年されて、もう働いていないんだろうか。。彼が昔、厳しく優しく、私の興味に粘り強く応えてくれたことが、急に懐かしくなってお礼を言いたくなった。情報社会の中で、一人の人を見つけるのがこんなに難しいなんて、見つからないからなおさら、もどかしい気持ちになった。元の塾に問い合わせても、個人情報なんとか。。とか言われて、連絡先なんて教えてくれないんだろうなあ。

と振り返ってみると、何もしてないわけではないんだな。結論としてはやっぱり心がけである。ただ相変わらず雨は続くみたいだけど週の予定は良いペースで立って来たし、やっぱりなんだかんだで、何かしていることが好きなんだろうな。


2017年1月10日火曜日

聞き上手は好かれ上手

結局好かれるのは聞き上手だという話

ベイエリアに帰ってきてからMBA受験希望の方とのCoffee Chatも含めて人と会う機会が多く、こんな当たり前のことに改めて「そうやなあ」と自戒も込めて思いました。

やっちゃいますよね、悪気がなくても人の話を自分の話にすり替えちゃうこと。「あーそれ分かるー」と言いつつ、気が付いたらその人の話じゃなくて、自分の話してしまってそれで盛り上がって「ん?なんの話してたんだっけ」と思うこと。これ、もちろん私も含め老若男女で経験があります。

人はつくづく、「自分の話がしたい動物」なんだと思います。それは、時に承認欲求だったり、時に溝を埋める努力だったりしますが、人がそれをするのを見て、それが話し手に与える影響に気がついたりもします。

一方、後から「あの人、良い人だったなあ」と思うのは、概して聞き上手な人であったことに気がつきます。そして聞き上手とはただ静かな人ではなく、人に興味があって、その人を理解したいと思って話を聞く人なのだと気がつきました。こんなこと頭では分かっていたはずなのですが、それが優雅に実践されるとどうなるのかを目の当たりにして、少し感動しました。そういう人達は、「自分の話がしたい動物」という人間の本来の性を乗り越えた、一歩本当の意味での大人なのでしょう。

大阪人の (話したくて仕方がない)という性をぐっと乗り越え、彼らのような素敵な大人になるべく、少しずつ努力したいなあと思った新年明けでした。


2017年1月6日金曜日

メキシコでの新年

新年にメキシコに行ってきた。

どこまでも青い海である。場所によって海の場所が違ったりして、何がこの色をつくっているのか、とっても不思議。
メキシコといってもカンクンなので、超がつくほどの観光地である。英語はほぼどこでも通じるし、何ならアメリカドルまで流通している。

もしホテルゾーンと呼ばれる、食事やらなにやらまでが全部ついていて、プライベートビーチでごろごろできる地域に滞在したら、本当に英語だけで過ごせたと思う。ただ、私が滞在したのは安めのホテルが集中する、ダウンタウンの地域なので、そういうわけにはいかなかった。ありがたくも、ちょっとだけメキシコを見ることができた気がする。とは言っても、やはり本当のメキシコとは程遠いくらい安全なんだけど。


カンクンは政府が「ここ観光地に決めた!」として開発した地域らしい。道路も綺麗で、素敵なレストランがたくさんあって、海も綺麗で、治安も驚くほど良くて、、、「決めた!」でここまで残りのメキシコと大きく異なる観光地を作り出せるのは単純にすごいと思う。都市開発って、全然知らんけど、きっと面白い分野なんやろうなあと思う。

アジア人があんまりいないのも良かった。日本でも人気になりつつあるハネムーン地らしいけど、さすがにちょっとアジアからは遠いと思う(飛行機で17時間くらい?)半分以下の時間で行ける場所に住んでるのはやっぱりラッキーかな。物価も、ダウンタウンで過ごす分には全然高くなかったし、アメリカに住んでる人が気軽にバケーションで行くのはちょうどいい場所だろうなと思う。