2016年3月16日水曜日

ベジタリアン生活

というか、ベジタリアンではない。ベジタリアンにもいろいろ種類があり、私はどうやら「セミベジタリアン」とか「ノンミートイーター」と呼ばれているらしい


アメリカに来て、あまりにもベジタリアンが多くて驚いた。結構仲の良い人々にベジタリアンが多かったのと、偶然生肉工場のドキュメンタリーで非常にショックを受けしばらく肉が食べれなかった経験から、私は極力肉を食べない(でも魚は食べる、しかも旅行とかお出かけ外食とかでは肉食べちゃう)という非常にゆるいベジタリアン生活をしている。で、こういう人にもアメリカにはきちんと名前があって、「セミベジタリアン」とか「ノンミートイーター」と呼ぶそうな。へえ

今まで、肉が入っていないものは基本的には食べ物じゃないと思っていた分(すき家大好き)、実際こういう生活をしてみるといろんなものが見えてきた。例によってこういう感動は時とともに薄れてしまうから、感動真っ只中の今記録しておこう

1.オプションが多い
アメリカ人のクリエイティビティに脱帽。彼らは基本なんでも「ベジタリアン化」できる。多分ベジタリアンの人が多いから、十分元を取れるというのが理由だとは思うんだけど、基本どういう店に行ってもクリエイティブベジタリアンメニューがある。ハンバーガーはもちろん(パテはキヌアというぷちもちっとした野菜をフライしてできている)、すし(出たアボカド)、ブリトー(豆が胃もたれするほど代わりに入っている)、カレー(ヨーグルトが上にどさっと乗っている。なんの代わり??)、餃子(完全に肉の味したけど、何でできてるのあれ)等々。。

2. ベジタリアンになる理由は人それぞれ
ベジタリアンのオプションを選ぶことで、「お、お前もか」と話しかけられることがある。彼ら彼女らがベジタリアンになる理由はそれぞれで、宗教上の理由(特にインドに多いような。。。)、健康上の理由、昔からの習慣(肉の味覚えてないから食べたくないという私的には結構謎な理由)、ショッキングな経験をした人(牛の死体を運んでいるトラックの真横を通って臭いがトラウマになったとか)、社会的に義務感を感じている人(肉を生産するために必要な資源はうんぬん)とかいろいろ。感覚的には親がどうだったとかいうより、自分で選んでベジタリアンになった人が圧倒的に多い印象かもしれない


3. 特に体重とか変わらない
基本的に、カロリー的にはあんまり変わっていない気がする。炭水化物とか普通にいつも通り取るので、意識してタンパク質取らないと脂肪燃えないんじゃないだろうかと思う。そして、健康的かというと、まあよく野菜を食べているのでそうかもしれないけど、普通の食事マイナス肉だけのこともあるので、これはちょっとよくわかんない

いずれにせよ、一時の肉食べたくない現象は既に去っているので、経験と思ってちょっと惰性でこういう生活してみてるが、別に悪くない。とっても普通。日本で同じことをしようと思ったら、町中にすき家があってちょっと難しいかもしれないけど












2016年3月12日土曜日

インターンシップ決定からのお祭り騒ぎ

インターンシップ探しが終わった

正確にいうと日程とか調整は残ってるけど、おそらくこの会社で夏過ごすことになるんだろう。

結局、アメリカで仕事をすることにした。クラスメートは「おめでとう!」と一緒に喜んでくれたりして、私にとってはぷちお祭り騒ぎだ。

そう、お祭り騒ぎ。なんたって、難しかった。日本人がぽいっとアメリカにきて、仕事を探す難しさ。それは、多分クラスメートはわかってくれていない(そして、わかってもらう必要もないし彼らに悪気は一切ない)カナダに1年間留学した時に、就職活動をしたことがある。30社近く申し込んで、面接にすら呼ばれなかった。何度もなんどもレジュメを書き直してカバーレターを書いて、それでも、会ってすらもらえなかった。

会社側にしてみたら当然である。優秀な人は山ほどいて、その中で英語が微妙でしかもビザがない外国人を取る理由なんて、1ミリもない。アメリカでは特にビザは大問題で、企業にとって非常に労力のかかることらしい。しかも、企業のサポートをもらって申し込んでも、2/3はランダムに落とされるという謎に高い壁。それもあって、留学生は敬遠されるのだ。

だから、その壁を越えていく必要がある。要は、そこまでしても必要な人材であることを分かってもらわないといけない。それって、本当に難しい。今までの自分ストーリーでは足りない。みんなが行きたいような大きな会社で、その差分をどうやってアピールするのか。。。を想像してびびった。日本人であるということを一切忘れ去って、一人の人間として評価され、現地人と間近で比べられる。。。それは、感じたことがない壁に感じた。そして、このプロセスから多くのことを学んだ

かつ、結局何したいの?って自分が一番わかってない。だから、場所がどこがいいのか、どういうことを学びたいのか、を優先して選んだ。また、今まで慣れ親しんだコンサルティング文化から抜け出して、外の世界をビジネスという意味で覗いてみたい。


そして、そんな機会が手に入ったことが、6年前カナダで感じた敗北感を少しだけ塗り替えた。市場が評価してくれる力が、少なくとも少しはついたということにして、あとはこの機会を無駄にしないようにしっかり勉強してこよう

2016年3月11日金曜日

自分の代弁者としての「事実」

自分が正しいと思うことがちょっとでも伝わる時の瞬間は、仕事でブレークスルーがあったときと似ている

アジア人はなめられがちである。被害妄想と言われようと、絶対そうである。加えて女性であり、かつ本来の年齢より若く見られることが多く、クラスメートも年上が多い。英語も拙い。だから、なめられるのはもう仕方がないのであって、受け入れるしかないのだ。そこをベースラインにして、もがくしかない。

だからって、やっぱりいっちょまえに「いら」とすることは多い。「おいおい、だからさ。。。(レベル感ばらばらやで、優先順位明らかにおかしいで、そもそも一歩引いてゴールはなんやったか覚えとる?)」と言ってしまいそうなことがかなりの頻度で起きている。いったことが額面で受け取ってもらえない。正しいと思うことが、正しい、で伝わらない。伝わらない。伝わらない。

かといって諦める訳にもいかないので、あの手この手で頑張っている。伝え方をかえる、オブラートに包んで見る、オブラートを忘れて直球で入れてみる、褒めてみる、突き放してみる、外堀を先に埋めてみる、外堀を忘れ去って本丸をいきなり攻めてみる。。思いつく限り本当に色々実験した。はたから見ると性格が七変化しているように見えるかも。。

ところがある時、ちょっとした発見があった。brainstormingの過程で、過去のデータを使った簡単な分析を申し出た。というか、なんで誰もやってないの?という単純なデータ。3分もかからない分析。そこから見えてくる、事実。ファクトベースという懐かしい言葉が頭をよぎった。一部の人しか分かっていなかった事実・感覚的に理解されていた事象が、全員に可視化され共有される感覚。議論の足が地面に着く感覚。そこから生まれる意味合い、action。ああ、こういう世界から来たよな、と久しぶりに思い出した。

個人的なメールで私宛に数通「本当に助かった」とチームからメッセージが来た。それは、データという武器を初めて手に入れて、クライアントと話しをした時の感覚と似ている。自分の声を「事実」が代弁して話してくれて、それに価値を感じる人がいた。「事実」の持つ力とそれを見極めて伝える力。今回は一切大したことじゃなかったけど、どれが欠けても伝わらない、という当たり前のことを改めて思い出した。

かつもがいたからこそ、その価値をより大きく受け止めることができた。会社にいたら、正しいと思うことを正しく伝えたら、ほぼ100%伝わった。それが拙い英語だろうが女性だろうが年下だろうが、関係なく伝わっただろう。今、それが当たり前でないからこそ、事実の持つ力をより理解し、その使い方により慎重になっている。これは会社にいたら起こらなかったラーニングだったと思うし、この状況はより忠実に世の中を再現しているんだろうな、と思う





2016年3月9日水曜日

加速。。からの期末

もう3月である。

恐ろしい。すでに期末試験を受けているのだから変態的に早い。特に後半忙しかったっていうのもあるが、授業半分課外活動半分で過ごしていたら、ここまで「あ」っという間にたどり着いていた。

いかん。

多分感覚的にはこういう感じだ。描いてみてさらに恐ろしい。。(というか、こういうことに時間を使っているからあかんのだ)最近、学んだことの反芻とか、毎日を大切に過ごすことが疎かになってる気がする。根っからの怠け癖がついに顔を出したか。。最近受験生の人と何人か話をして、彼らのきらきらオーラに触れてから自分がいかにだらっと日々を過ごしているか痛いほど感じた。

いつだって新しい気持ちで始めよう。とりあえず、今日を有意義に過ごすことから始めよう。期末が終わったら、改めてどういう風に時間を使うべきか、戦略立てる必要があるかも