2017年4月27日木曜日

言語の持つ壁

ここに来て、言語の大切さを知る。

MBAで受けてきた授業を振り返ってみて、Aとかがもらえていた授業はFinanceとか、Macro Economicsとか、Micro Economicsとか、えらい定量系の授業が多かったな、とふと思いだす。一方で、成績がひどかったのはMarketingとかStrategyとか、ふわっとした授業で、どちらもテストのスコアが結構悲惨だった(悲惨といっても、MBAなのでもちろん卒業はできる程度の)。

アジア人は数学得意だもんね、というステレオタイプはさておき、これはなんだろうとふと考えてみる。ちなみに私、アジア人の中でも数学が特段得意なわけではない(むしろちょい苦手)。加えて、どの教科もそれなりにしっかり勉強したつもりである。もちろんコンサル出身なので、むしろマーケティングとかストラテジーとか、本職のはずなのに。。。このまま帰社したらぶっ殺されるんじゃないやろうか

色々と考えたり人と話したり、また自分がこれら教科につぎ込んだ努力を一応肯定的に捉えるとしてたどり着いたのは、やっぱり言語の持つ力は大きいということである。同じことを言っていても、やはり洗練された英語で書かれた一文と、やっとこさ伝えることに精一杯の一文では、差がつくということなのだ。その点定量的な試験は誰が書こうが3は3なので、差がつきにくい(=努力が反映されやすい)ということなんだろう。分かってはいてもやはり高い壁、学校の試験だからどうってことないんだけど、仕事になったらこれって結構意味合い大きいんじゃないか、と思わずにいられない。それこそ、「こいつできてる気がする」という直感のもつ威力。ネイティブと並べられると、同じことを言っても正しいことを言っても、一歩遅れをとってしまいがちということなんだ。

だからと言って、言語を言い訳にしていいのかというと、それは全く別の話である。英語が公用語であることは私が地面を蹴っても変わらないので、日本の外でビジネスがしたかったら、相手の土俵で戦うしかない。ひねくれていてはいけないのである。むしろ、自然に差がつくものなのだ、と腹に叩き込んで、30%割引されるならそれを補う努力をしなければいけないのだ。

2017年4月11日火曜日

日曜日にStory tellingについて考える

Story tellingという授業を受けている。

日曜日2日間にわたって行われる授業なので、正直げーっと思っていた。しかもこういう日曜日に限って、カリフォルニアの抜けるような青空だったりする。うらめしい。リーダーが組織や世界にコミュニケーション(主にプレゼンテーション)をするときに、どうすれば効果的にメッセージを伝えられるのか、という授業だ。受けてみて結構よかったというのが今のところの感想。まだ1日分しか受けていないけど。コミュニケーション系の授業はいっぱいあるし、ある程度受けると何回も聞いたようなことを聞くのであんまり期待していなかったけど、なるほど、なるほど、と思うことが多い。特に、忘れないようにしたいと思ったのが以下


バリエーションが合って初めてオーディエンスを引きつけることができる
バリエーションというのはVocal toneとPaceのことだ。英語がネイティブじゃない人にありがちな「早く喋っちゃう」という癖が、私も例にもれず合った。繰り返し繰り返し、本当に繰り返しそう言ったフィードバックを受けるから、ゆっくり話す、という当たり前の技術を繰り返し繰り返し学び、努力で習得した。するとどうだ、今回の授業では「遅い」というフィードバックを受けるではないか。一瞬ずっこけそうになったが、つまり、メリハリが必要ということなのだ。プレゼンテーションの真ん中は流れるように話してこそ、冒頭やフィナーレでゆっくり話すと「しみる」ということなんだろう。もう一歩上に行けるようなフィードバックだと勝手に解釈して、引き続き精進しよう


「やり辛い」と思ったら新しいことに挑戦している証拠
特に日本人特有のモノトーンな話し方をする私は、「感情の波を感じない」というフィードバックを受けた。そこで同じスピーチを、(なぜか)椅子の上に乗って感情豊かにもう一回するというエクササイズをさせられた。一応感情を入れてみようと努力するんだけど、そうすると頭がそっちばっかりに持って行かれて「何話してたんやっけ」という頭の空白にはまる。「どうやった?」とインストラクターに聞かれて「やり辛い」と言うと、それは新しいことに挑戦している証拠だね、と言われた。仕事では新しいことを思い切ってやるには少しリスクを感じるかもしれないけど、それでも毎日少しずつ新しいことを取り入れるように努力したらいい、と言われた。ぐう、はい。

低い声は、信頼を自然と生む声
これは若干テクニカルなとこだけど、女性の声で信頼できる声はアルトあたりの声域にあるらしい。緊張すると声のトーンが上がるから、これは意識して下げるほうに持って行かなければならない。これは仕事をしている中で経験的に学んだことでもあって、今思い返せばミーティングの前には「声低く!!」とノートの端に書いて、ミーティング中に目に入るようにしていたなあ。プロが言うんだから間違いない。


準備する、でも、準備しすぎない
プレゼンのリハーサルの大切さを学んだのは、MBAに来てからだった。特に自分の母国語でないプレゼンテーションは、リアあるなしでできに圧倒的な差がついてしまう。でも、インストラクター曰く準備しすぎもよくないんだとか。準備しきれていない自分に慣れる、という完璧主義を捨てる勇気。特にビジネスのプレゼンテーションでは、十分に準備できないことだって少なくないから







2017年4月9日日曜日

スイスに行く

エッセイコンテストに入賞して、スイスにただで行けることになった。まさに、棚からぼた餅である(航空券の手配で向こうの不手際があってもめているんやけど。無事行けることを祈る)。スイスでは、エッセイで書いた内容を議論することになる。どうやら日本の元首相も所属するほど由緒ある団体らしく、若干びびってはいるが胸を張って参加することにする。


エッセイコンテストのテーマは"Dillenma of disruption"。そのテーマだったら何に関して書いてもいいよということだった。私は、日本の女性問題に関して書いた。日本の女性進出が叫ばれる中、実際に置いていかれている意識的なギャップ(無意識に起こっている差別)について、アメリカに来て気がついたことが多かった。あれもこれも、差別だったのか、と愕然とした経験が結構ある。そんな憤りを初めて自分の外に表現して、認められたのだから、自分の中では大変意味のあることだった。


一番大きかったのは、コンテストのために書いた、というよりは、これを文章にしてみたかった、ということだった。それほど自分にとって大切な何かができただけ、2年間は有意義だったかもしれないなと思う。にしても、スイスから帰国後すぐに期末テストなので、偉そうにしてこれで卒業できなかったら完全に笑い話である