2016年10月28日金曜日

苦手な人

と仕事をすることになりました。

なんでそうなってしまったのかはさておき、これは結構重要な経験になるのではないかと勝手に思っている。人という要素が仕事をする上で自分にとってどれくらい大切かは結構はっきり分かっているので、今回の経験が結構大変なものになるのは折り紙付き(?)だ。

まず、なんでこの人苦手だと思うのか。まず、結構感情に任せてがーっと話すひとは結構嫌いである。理由を言っても通じないし、そもそも感情的になっているのでほぼ聞いていない。したがって、私の目から見た議論の効率性はそこに存在せず、かなりストレスフルな状況になりがち。加えて、この人は今回の課題に以前から興味があって知識があるので、独断で議論をコントロールする(=他の人に耳を貸さない)ことになりそう。さらに、忙しいから仕事はできない(!)という自分勝手ぶりである。おそらく、この人のこういった正確に加えて、自分持ち前の正義感が「ふざけんな」という感情を生んでいて、自体をより複雑な方向に持って行きそう、な気がしている。

その中で、どうやって確執を起こさずに意味のある仕事をするのか、には大変意味のある学びがある気がしている。自分が「こいつ。。。」と思っている空気はきっと伝わる。伝わったらきっと物事が進みにくくなる。いかにプロとして、必要な議論をスムーズに起こせるのかは、腕の見せ所というか学びどころだ。


とりあえず、「一緒に仕事できて嬉しい!」という空気を出しておいた。さてさて、自分をどれくらい上手にコントロールできるのか、できなかったとしたら、どうしてできなかったのかどうしたらできるのかを考える、いい機会にしよう。自分の好きな人としか仕事をしないなんて贅沢、将来絶対できるわけないんだから。

2016年10月27日木曜日

期待値からの引き算

アメリカ(外国)にいるということが結構ストレッチなのだということを、たまに忘れてしまう。

それに、急に気がつく瞬間が幾つかある。例えば、授業でうまくできなかった時に、かなり凹む。上手くできないというのは、日本だったらこれくらいできるはずなのに、こんだけしかでけてへん、という差を圧倒的に知る時。また、「今絶対アホやと思われた」というような、自尊心を傷つけられた時。その時の、気持ちの降下速度が凄いから、自分でもおいおいどうした、と思ってしまう。

一つには、自分はアメリカに結構慣れて、現地人に負けないぞなどという謎の自負みたいなものができてきていて、それが幻想だということに気がつくたびに凹む。また、こんなことではアメリカに来た意味がないではないか!!という自分の期待に対する不甲斐なさに凹む。

来たばかりのころは、0に対するできた分だけ+αだったので、いつも足し算のお祭り騒ぎだった。今はある程度期待値が自分の中でできてしまったので、期待値10に対するできなかった時の引き算なのだ。それは、確かに凹む。

小さい成功を積み重ねて期待値ができたことは、良いことだと思う。期待値に対して自分の不甲斐なさを感じるのは、そこにたどり着きたいという気持ちがあるということで、多分悪いことではない。ただ、凹んでばかりいると本末転倒なので、気軽に行き過ぎるくらいで多分丁度いい。



2016年10月18日火曜日

Negotiationの授業にて、自分を学ぶ旅

 MBAの授業っぽい授業の一つにNegotiationという授業がある。言葉の通り、交渉術に関して学ぶ授業だ。「交渉」と聞くとぐっと身構えてしまうし、そもそもそれが好きな人はあんまりいない、と思う。でもそれも含めて、交渉に関して学ぶ。「宇宙科学ではないのだ」と先生が言うように、こつとか、心構えとか、学ぶことが多い。

でもまあ難しいよね。特に最初のほうの授業はひどかった。まず、衝突が嫌いという自分の性格をよくよく学んだ。相手が求めてくる価格なり条件なりで、自分がある程度満足できるならそれ以上行こうとはそうそう思わない。また、相手との見解と自分の見解が違うと、多分うちがとんでもないことを言ってるな、と自動的に思っている。結果として、相手にコテンパンにやられていっつも下位10%という状態が続いていた。しかも、相手が得た価値と私の得た価値を合計すると、他のペアに劣る(=二人で協力して価値の最大化ができていない)という救いようのない状態である。まあ人間なので、結構凹む。

でも、毎週とぼとぼと家に帰っていく中で、やり方は少しずつ変わってきた。まず、準備をしっかりするようになった。その際に、いくつかシナリオを準備しておく。価格を妥協するなら、こっちの条件は譲れないとか。また、リミットも作っておく。ここまでなら妥協できるけど、これ以上は無理、と、相手が提示する条件に対して素早く対応できるようにしておく。また自分の論点はどこなのかを整理して(=どのようなカードをどの順番で出すのか)、相手に反対されてもすぐに別の手を見せることをやめ、反対された瞬間に会話することを怖がらないように注意した。そしてその上にあるのは、なによりの「自信」。準備がしっかりできていると、自分はふざけたこといってないぞと、もうちょっと胸を張っていうことができる。

そうしていると、結果もだんだん変わってきた。まず、自分は下位でなくなってきた。かつ、以前やりがちだった「どうしよかなあ。。」という議論中のなぞの空白がなくなった。それが原因で自信がないように見えることも少なくなった(はず)。相手が準備不足だったということももちろんあるが、それも含めて、自分のペースで会話ができるようになってきた。特に今日は、相手がかなり強気で始めてきたのにもかかわらず、最終的には完全にこっちのペースで進めることができた。決め手は、シナリオを事前に作っておいて、それに対してしっかりとしたストーリーをつくり、相手が反対したからって簡単に諦めなかったこと。アメリカ人の男性相手(=怖い、英語早い)にここまでできるようになったのは、ちょっと褒めてあげてもいい。

交渉していること自体が、自分の性格上少しストレッチである。でもその上で、交渉に向かう心構えみたいなことを学べること、かつ、交渉という事象をかなり客観的に見る機会があるのは、かなりありがたいと思う。もう数回残っているので、この先またコテンパンにされても、めげずに学んで帰ろう


2016年10月13日木曜日

つらたん

自分で選んだことなのに、なんでつらいんだろう

という話を、あるコーヒーチャットを一緒にした女性に聞いて、「なるほどなー」となった。結構最近「つらたん。。。(古)」となってることが多い気がした。些細なことから重なるストレスとか、本来こうあるべき、に対する自分の情けなさとか、そもそもやっぱ英語って疲れるよね、とか、あれとか、これとか、とくにこれっていう原因はないんだけど、それこそ一気に疲れがきて、なぜだか右の肩が外れそうになった。

そもそも、学校というのは自分で選んで来るところなんだから、する事なす事自分が選んだことのはずなんだ。だから、ストレスとか感じる理由一切ない、はず。この世の夏休み、のはず。なのに、いつからそんな事を忘れて、なんだか「やらされてる」みたいな錯覚に陥ったんだろう。

そう考えると、仕事だってそうで、いろいろ考えて選んだ結果そこにいるはずなのに、いつの頃からか「誰かに無理やりやらされている」錯覚に陥る事が多かったかもしれない。

後で「なんであの時つらたんになったんやろう」とばかばかしく思えるのは目に見えているので、自分が選んだことにいちいちストレスを感じながら日々を過ごすのをやめよう。

人をManageするということ:まだまだ長い道のり。。

クラブのPresidentなんかをやっていると、いろんなことを学ぶ。とくに、People Managementの面で学ぶことは多い。いろんな人からあれはこうしたらとかこれをこうしたらとかリクエストが集まって来るし、違う意見を持ってる人はもちろんいるし(全員を幸せにはできない、というのが前提)扱っている人々の能力にも違いがある。そこにはいろいろ衝突があって、「まじふざけんなよ馬鹿野郎」と思う瞬間は結構あるのだが、そこを含めて自分のコントロールを学んでいる気がする。まだ発展途上だが。

特に今日、その一つがあった。私の一つ下のVPの一人が、どうしても本来やるべき仕事をしない。私はというとやきもきしていて、「がー自分でやった方が早い」というマインドになりかけていたが、「いかん。。それするとすぐになんでも自分でするようになる」と自分を戒める(そこは前より進歩)。なるべく彼女に委ね、彼女の裁量権を維持したままで、最低限の指示だけ出して、煮えたぎる気持ちでことが進むのを待っていた。だが、ちょっと我慢できないくらい遅い。自分だったら1時間でできることに、2週間掛かっている。いよいよやばいなとなった時に、「ちょっと座って話しよう」と持ちかけた。彼女も何かやばいのはわかっていて、緊張した面持ちで会いに来た。怒り心頭になる気持ちをぐぐっと堪え、決して彼女を責めるな、責めるな、と何回も心の中で自分に説き、「どうすればやりやすい?」と尋ねてみた。

そこで出てきた彼女からの不満と言ったら。。待ってましたとばかりにぶわーと出てきた。それに対して、「甘えたこというな!わからなかったら自分から聞け!あって話したいなら自分から言え!」と思うスパルタな私と、「まあ、確かに任せすぎたかもね。」と冷静に反省する自分とがせめぎ合っていた。多分昔の私なら彼女の言ったことは言語道断だった。自分が任されたことは自分で責任を持って、必要と思う助けは自分で得ようとするのが常識であり、それをいかに効果的にするかも自分の責任だ。それができないなら言われたことを右から左にこなす機械である。しかしながら、人には違うレベルの問題解決能力があって、自分がこうあるべきを彼女に求めるのは少し勝手だった。彼女の能力と、性格と、どうしたら安心して仕事ができるのかを、リーダーとして判断すべきだった。人は時に、1から10まで知ったほうが落ち着いて仕事ができて、時にばくっと任されたほうがわくわくする。自分が後者だからって、みーんなそうでしょ!と判断するのは勝手だった。

やっぱり自分は人にも自分にもまだ厳しいよね、いやーまだまだだな、と思いつつ、今回は冷静に自分を判断している自分を議論中に感じた。若干怒りが暴走しそうになった時もあったが、そこはぐっと自分を引き止め(怒りを全て言葉にしない。こうあるべきという正論をぶつけない)、その感情に蓋をして、前に進むために必要な議論に集中した。ただ、早急に答えを求めすぎた感もあって、もうちょっと落ち着いて彼女の膿を先に全部出したほうがよかったかもしれない。それこそ「もうない」と彼女が思うまで、好き放題言わせてよかったかもな。そこはまだ自分の未熟さもあって、「これ以上意味ない」と私が思った時点で止めてしまった。言っているうちに思考が整理されることは自分の経験からも知っているので、意識的に喋らせるということを、もっとできるようにならないといけない。それは今後の課題かな。

なんにせよ、貴重な機会だった。いろんな人をManageするようになるのは、きっと遠くない。その時に、犯してはいけない間違いを、先にできたということで、感謝しておこう