2016年5月23日月曜日

パンダ王国中国にてのIBD:寛容になる勇気

IBDで中国に来ている。クラスのプロジェクトとはいえ、クライアントが存在することからしゅっと気が引き締まる思いがする。今ちょうど一週間が終わって二週目に入ったところだ。3週間のプロジェクトなので、国内の仕事としては、半分弱が終わったところだろうか。

ストレス溜まるだろうな。。。と思っていた以前の記録に違わず、いろんなチャレンジがあるし、めっちゃストレス溜まってる。ただ一方で、思ったより破滅的にストレスアウトしているわけではないので、幸運かもしれない。チームが思ってたより強いし、それぞれの価値の出し方に以前より自分が寛容になったのがかなり大きいかな、と思う。こういうストレスは時間が経つと忘れてしまいがちなので、忘れないうちに書き記しておくことにする。

1) 時間に相当ルーズ
まじこれ。何回かあからさまにイラっとしてしてる。日本人は時間に忠実というけれど、
それを身を以て感じたのは初めてかもしれない。まず、ミーティングの開始時間が遅い。プッシュバックしたが、朝10時に設定しようとしているチームメイトがいて、こらまてよ。となった。チームの合意として9時に設定したら、一応9時には来るし、それに対しては結構コミットするようだ。しかし何がすごいってやつらは9時に朝食を食べ始める。実際に議論が始まるのは9:30だ。私は当然9時には議論が始められる体制で待っているので、これ相当ストレス溜まる。てめえ、昨日の野球ゲームの話ししながらオムレツ食ってねえで、アジェンダの話ししろよと本気で思った。の割に時間が足りないと言って会議の時間が長引いたりするから、怒り心頭だ。じゃあ9:30に時間設定しろよと言い出しかねないが、大人大人とぐっと堪える。

2)プロフェッショナリズムの欠如
これも、「うぎゃっ」となった瞬間が何回かあった。金曜日の夕方から週末にかけてチームで旅行に出かけるつもりでいて、私は当然ながら夜のフライトを予約した。一方、2名のチームメイトは、クライアント先を2時に出なければ間に合わないフライトを予約していた。「いや、てめえ金もらってプロジェクトしてんだから、ワーキングアワーにそれはやめとけや」と思ったが、ぐっと我慢ぐっと我慢。。ここはなんとか大人に乗り越えたが、振りきれたのが、そのチームメイトがクライアントに対して「金曜の夕方から旅行に行くので、2時以降にミーティング入れないでください。飛行機乗り遅れたくないので」と言った瞬間(!)。これはさすがにフィードバックした(頑張った私)。

あと、クライアントが何度か食事をご馳走してくれたことがあったんだけど、チームの何人かがそれを「当たり前」と思っていること。もちろん我々は学生なんだけど、なんで手土産とか、感謝の一言とか、そういうことに気が回らないんだろう。食事中も自分の話しばかりして、クライアントが聞き役に回っている。ハラハラして、正直食べた心地がしなかった。

あと、クライアントの言ったこと普通に聞き間違えたり忘れたりしていること。いや、5点ある、ってクライアントはっきり言ってたのに、なんで3点しか残ってないんだ!!と叫びたくなることも笑 「クライアントと約束したけど、どう考えてもできないからこれはやらないつもり」っていやだめでしょ。だったら(ミーティング)その場で持ち出すなり、もう一度議論するなりしなきゃでしょ


と書き出してみると、私のストレスは文化の差と、以前の会社で培った哲学から来ているんだな、と理解する。そう言ってみると当たり前で、そりゃそうでしょとなるんだけど、これらを実際に本当の意味で体験した人はそんなに多くないんじゃないかなと思う。じゃあこれをどうすればいいのか、っていうと答えがない。

ただ一つ自分に言い聞かせたいのは、寛容になる必要性だ。おそらく、外の世界はこれが結構当たり前なんだろう。自分がみんなと同じように時間にルーズになる必要もなければ、プロフェッショナリズムを欠く必要はない。(というか、しちゃだめ)だけど、それができない人に対して、「いら」とした態度を見せずに気持ちよく仕事をするには、精神的にかなり大人にならないといけない。「これはリスク」と思う時を除いて、流れに身をまかせる勇気と寛容性を、どれだけ身につけられるだろう。これは、残り2週間の課題にしないといけない。将来人の上に立つ時が来たら、寛容で人を信じられるリーダーになりたいから















2016年5月13日金曜日

6年ぶりカナダ 世界一住みやすい国??

カナダとアメリカは似てるけど、やっぱり違うなと思った。やっぱり、カナダは綺麗で、安全だ。ホームレスの人はいるんだけど、数としてはアメリカの(特にバークレーとかサンフランシスコの)1/10くらいだろうか。。。ただ、やっぱり「お、あぶねえ」という場所はあって、そこはアメリカと中国で鍛えた嗅覚でさささと通り過ぎる。あと、日本人のワーホリぽい人が多い。カフェとか、日本食レストランには明らかに日本人の人が働いていたりする。


以前住んだモントリオールと、バンクーバーも結構違う。当然だが、全員英語を話している。フランス語はたまに聞くぐらいだ。比率としてはそのままフランス語人口を英語人口を逆にした感じかもしれない。ただ、フランス語と英語がうまく共存しているという印象。モントリオールみたいに、言語でギスギスしたり、どちらかができないから「いら」とされている様子はない。住んでみたら印象はまた変わるかもしれないけど

住みやすいかと言われると、そうだろうなと思う。物価も高くない。ご飯も美味しいし、サービスは、日本にかなわないまでも悪くない。ただ、ビジネスとして面白いかというと、ちょっとわからない。全体的にのんびりした場所かも



あと余談だが、カナダには匂いがある。日本に匂いがありアメリカに匂いがあり中国にも匂いがあるように、カナダにもあった。これが、6年前に嗅いだ匂いと一緒で、さっぱりと懐かしくなった。なんの匂いかわかんないけど。

MBAの1年を振り返って 

MBAの1年目が終わった

ああーこんな感じか。と実感がないまま終わった。早い早いと思って、本当にざざざーっと終わった。今カナダのバンクーバーのカフェに腰掛けて、さてさて振り返りでもしようかなと思っている。

カナダに来たことで、以前留学していたモントリオールを思い出した。ちょうどこの時期は帰国の準備を進めていた頃だろうか。やっとカナダに住んでいるという実感が湧いたところだったと記憶している。いつか、もっと腰を据えて勉強しに来ようと思ったことも覚えている。そういった意味では、アメリカは割とあっさりと「住んでる」感覚が湧いた。パートナーと来たことも大きいだろうし、彼がいわゆる生活の難しいところ(家探しとか)を片付けてくれたところはかなり大きいと思うし、自身も以前より肝が座っているので、多少のことでカルチャーショックを受けることがなくなったのもあるだろう

この1年弱のラーニングはなんだっただろう。1年仕事から離れた価値はあっただろうか

1) 英語
地味にこれ。まだまだなんだけど、自分の新しい仲間になった表現の存在を感じることが増えた。冗談言って笑うことが母国語と同じくらい簡単にできるようになると、いろんな他のことにエネルギーを使うことができる。特に議論になった時、それを実感する。私にとって英語の上達とは脳内キャパを問題解決に回せることを意味していて、より効率的に仕事やプロジェクトができるようになったと思う。何より疲労感が減った


2)  価値観の許容
未だに、会社で学んだ価値観は持っているし、そこから抜け切れていないところは否定できない。気が付いたら人をJudgeしてしまっている時もある。「こいつはxxやな。。」みたいな、そういう「できる」「できない」以外の価値観をもっともっと学びたくて、学びたくて、でも口で言うより難しくて、もがいている。ただ、前より変わったかな、と思った瞬間があった。クラスメートで一人黒人の女の子がいる。なんというか、日本でいうとギャルで、あんまり勉強は得意じゃないみたいだ。特に定量的な勉強が苦手で、口のうまさでごまかしているが、少し聞いていると理解していないのはすぐ分かる。「なんだかなあ」と思いながら、たまに授業の帰りに話したり、図書館で近くに座って勉強するくらいの付き合いだった。
ある日、期末試験前マクロ経済学のReview session (TAが学期で学んだコンセプトをおさらいするセッション)に出席したところ、TAが一つ難しい質問をクラス全体に投げかけた。一瞬で「あ、これ多分誰もわからんな」とわかるような、ひねった質問だった。もちろん私も分からないので、TAがしびれを切らして解答を話すまで待っているつもりだった。ところが、そこで例の黒人の女の子がさっと手をあげて、すらりと解答を述べて見せた。なんというか、衝撃だった。彼女は、毎週の補習に全て参加し、TAに質問に通い、きちんとコンセプトを理解していた。見かけによらず、典型的な努力家。何が一番驚いたかというと、そういった彼女に対して自分が持った尊敬と好感だった。今までの価値観は、非効率な努力はどちらかというと評価していなかったし、どちらかというと「天性的に頭が良い」ことが「格好いい」という考え方だった。地頭の良さ、とでも言うのだろうか。一方彼女は、自分が(言葉を選ばずにいうと)地頭の良いタイプではないことを早々と認識し、努力と時間で人並み以上まで自分を引き上げたのだ。それを、素直に格好いいし、そういう人と仕事をしてみたいと初めて思った

3)  価値の出し方
コンサルタントの働き方がことごとく否定された一年間だった。正しく言うと、否定されたというよりは、使い方を叩き直されたと言おうか。正しいことが正しいで伝わらないのは、理不尽ではなくて当たり前。そんなことも気がつかない、いわゆる恵まれた環境で社会人生活をスタートさせてしまっていた。自分が正しいと思うことに気が付いたら、あとはどうやって人を動かすか。自分が進むべきと思う道を、逆からたどろうとする人々と、どうやったら衝突せずに働けるのか。100%伝わらなくても、どこまで伝えれば転ばないのか。今全てに答えがあるわけではないけど、今まで考えもしなかったことを考えるのは、別の筋肉が必要だ。筋肉がなかった場所に筋肉がつき始めている感覚がある

4) 人生における教訓

Haasの授業では、先生も生徒も成績とか気にしない割に「は」っとする言葉を聞くことがある。こういった言葉を京都大学で聞くことは少なかった。ただこれは、受け取る側(私)の問題もあったかと思うので、闇雲に学校を責めるのはやめておこう。その中でも、特に印象に残った言葉。まだまだあった気がするのに、ここは自分の不真面目さ故か思い出せない

・Sunk costを意思決定に影響させるな(ミクロ経済学)
口に出してみれば当たり前だけど。いくら投資したか、よりも、今現時点からの勝率のみが意思決定に影響すべき、というもの。戦争では、すでに何人犠牲になったかよりも、今いる兵力と相手の兵力のみで進退を決定すべき。常に「元取らないと。。。」という思考回路で動いている自分には結構衝撃的だった

・何にでも興味を持て(統計)
正確にはBe curious。破壊的に難しかった授業のあとの一言だったので衝撃が大きかった可能性はある。質問することを恐れるな。お言葉に甘えて質問しまくってごめん先生。でもなんとか統計の話ができるまで辛抱強く教えてくれてありがとう

・できるようになるまで嘘をつけ (リーダーシップコミュニケーション)
Fake it till you make it. Lead Commの授業で紹介された、ある女性のスピーチだった。自分はここにいるに値しない、自分では実力不足、と思ったら、自分と周りに嘘をつき続けろ、というもの。それが本当に自分のものになるまで、「できるふりをする」大切さ

・難しいからって考えるのをやめてはいけない(企業倫理)
Ethicsという、なんともふわふわした授業で、必ずしもこの授業が好きなわけではなかったが、確かにな、と思った。答えがない、で思考停止しがちなトピックだけに、「時間をとって考える、自分なりにポジションを取る」ということの大切さを教えてくれた

・人と対峙する時、それが本当に正しいと思っているのか、自分のエゴなのかを考えろ(CMOスピーカシリーズ)
そもそもマーケティングの話だったはずだが、この一言が衝撃的で残り全て吹っ飛んだ。自分の意見を言う時、人に反対する時、自分へのエゴが少しでもなかったか。自信を持って言えない辺り、きっとあるんだろうなと思う

あと、言葉ではないが、会計の先生は「準備の大切さ」をおしえてくれた。決して素晴らしいプレゼンターではない(しかも英語ネイティブではない)し、会計なんて世界で一番退屈な授業かと思ったが、生徒をいつも惹きつける授業をしてくれた。ハンデを努力で補うことの大切さを教えてくれた


と書き出してみると、結構ラーニングあったんじゃないかな、と思う。こなければわからなかった事ばかりだし、きっと私の人生を変えた。それが1年仕事を離れる価値があったかなんて、誰にもわからない。ただ人生の2年間の投資は、人生を引き伸ばしてみた時に多分小さい。だから、きっと意味のある意思決定だったんだと思う。かつ、MBAの目的を転職にのみ据えるのもやめよう。そうした瞬間に金銭的投資対効果に考えが縛られて、自分の首を絞める事になる。直後のキャリアとか目先のことよりも、大事な事を学んだと思うから

2016年5月11日水曜日

複数言語の習得:獲得と自動化

どうやったら。。。と聞かれることが急に多くなったので、本当にニーズがあるかはさておき、ふと言語習得に関して書き残して置きたいと思った。あくまで、一切帰国子女じゃない・ネイティブじゃないどめの日本人を対象として

自身は日本語(関西弁)、英語、中国語を、一応「仕事で使ってね」と言われても「う。。はいはい」というレベルで話す。もちろん十分かというと、それぞれが母国語の人々には「なめてんじゃねえ」と怒られてしまいそうだ。だが、レストランで注文するレベル以上に「人に意思を伝えて、議論する」レベルに持ち上げるには、特に帰国子女ではない(大阪の田舎生まれ育ちなので、外国人と触れ合う機会はほぼ20年ほど皆無)からこそ、辛い思いをしたし、今でもしている(特に3つめに手を出したあたりから加速度的に。。)そしてその過程で「学び方」にはこだわりができた。もちろん言語習得方法は人によって合う合わないがあるので、もしこれから他言語を学ぼうとしている方の参考にしていただければ、と思って呟いておくことにした。

私にとって、言語習得は1)獲得 と2)自動化。それがゆえに「取り合えず海外に行ったら話せるようになる!」とか「やっぱり言語は単語や!」という考えには若干抵抗がある。

1) 獲得
これは、文法と、単語だ。「なんや、当たり前のことすらっと言いおんな!」とおっしゃる方がいたら、へえ、すいません、というしかない。文法は、やはりきちんと学んだ方が良いというのが私のこだわりだ。それぞれの言語にはルールがあって、そこで試合をするならばそちらのフィールドのルールを学ばなければいけない。「伝わればいいじゃん」というのは、わかるんだけど、そもそも基本的なルールを知っていてあえてルールに沿わないのと、ルールわかんないからがむしゃらに伝えてみるのは、個人的には結構違うと思っている。加えて、ルールを知っていると、2) でのジャンプ力が違う。文法がわかるから、自分で文章を組み立てることができて、それを試して、エラー(実用されている文法とそうでないもの)をチェックする、というサイクルが、効率的に回りやすい。単語も、くそ難しい単語を学ぶ必要はない。が、普段自分が一番使っている言語でよく使う単語は、他の言語でも言えた方がいいというのが私の考え方だ。

2)自動化 = 仲間入り
自動化、というのは、上記で獲得したものが、「考えずに口から出てくる」状態にすること。例えば、Would you like xx? って、文法的にはもちろん何を意味するのかを理解しているし、組み立てることもできる。(まず want = would like、疑問文だから助動詞Would が前に出て。。。うんぬん) しかし、だれかに「xxいる?」って聞きたい状況にふいになったときに、反射的にそのフレーズが出てくるかどうかは、それが自分の中で自動化されているかによる。自動化したらそれはもう組みたれられた文章ではなくて、ほぼ一個のかたまりになっている。

そしてこの自動化は、まずは組み立てて、話す、ことによって始まる。だからこそ、1)がないと成り立たない。自動化されているパーツが、全体の表現の中で割合的に増えていくと、アドリブ(=新しく自動化仲間に入れたいフレーズ)の部分が少なくなるので、話すときのストレスが圧倒的に減っていく。

加えて、1)がある程度貯まらないと2)で加速できないので、言語習得のレベルは階段状になりがち。ほんで嫌になりがち。ただ、ある程度2)が進むと、そっからはぐいーーーっと上がるイメージだ。アドリブが比較的少なくなりあんまり辛くなくなるからか、よく話すようになるからだ。個人的にはこのブレークスルーがたまらない


海外に行ったら話せるようになる!というのに若干懐疑的なのは、1)がない状態で2)をやろうとしても、結局自分が自動化できている部分でしか話さないし話せないので、自動化の幅は広がりにくい。(かなり極端な話をすると、that's rightみたいなのを繰り返すばかりになる)一方で、文法や単語だけ練習し続けても、実際に話して「自動化」しないと、一切会話に出てこない。


Internalizeという英語があるらしいが、感覚としては、まさにこれやなと最近思う。「こいつは自動化仲間入りや」と感じるまで、くどいまでに繰り返して、繰り返して、繰り返す。たまに周りに「なにそれお気に入りなの?」と言われることがあるのはこのためだ。
また、自動化仲間入りしても、かまってあげないとすーっと逃げていくので、適度にお手入れが必要だ。



とはいうものの、言語ってやっぱり難しい。とくにそっち方面にめちゃくちゃ才能があるわけでもないのに、状況が状況ゆえに学ばざるを得なくなり、毎回苦悩を味わっている。でも、言語は可能性をくれる。そういった意味でも、解りやすいご褒美がある学びじゃないかと思う。